藤原敦宗
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白河朝にて式部権大輔・左衛門権佐・文章博士を歴任。応徳元年(1084年)左少弁に任ぜられる(当時の官位は左衛門権佐文章博士正五位下)。寛治元年(1087年)堀河天皇が即位すると、儒者として式部大輔・藤原正家と共に昇殿を聴される。しかし、翌寛治2年(1088年)父の大宰大弐・藤原実政が宇佐八幡宮に訴えられて伊豆国への流罪となると、敦宗も連座して左少弁を解官された。
承徳2年(1098年)式部少輔に任ぜられ官界に復帰。承徳3年(1099年)従四位下に叙され、大学頭・東宮学士を歴任し、嘉承2年(1107年)鳥羽天皇の即位に前後して正四位下に至る。天仁元年(1108年)丹波守に任ぜられた。
天永2年(1111年)9月16日卒去。享年70。最終官位は式部権大輔大学頭丹波守正四位下。卒去にあたって、権中納言・藤原宗忠から「才智頗勝傍輩、可謂名儒歟」と評された[1]。