父の姉妹が藤原忠実の室となり頼長の生母となったことから、従兄弟として頼長に近侍し、その外出の際にはたびたび前駆を務めた。さらに崇徳上皇の殿上人でもあったことから、保元元年(1156年)の保元の乱に当たっては、兄弟達と共に上皇・頼長方に参加した。
敗北後は頼長に随って逃亡、頼長の横死後に出家するが赦されず捕虜となる。さらに、近衛天皇や美福門院らを呪詛したとの嫌疑によって、弟・経憲と共に拷問を加えられた後、佐渡国へと流罪となった。
孫・重房は丹波国何鹿郡上杉庄[1]に所領を授かって上杉を名乗り、その子孫は後世上杉氏として繁栄している。