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藤原祇子

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藤原 祇子(ふじわら の ぎし、生年不詳 - 天喜元年5月23日(1053年6月12日))は、平安時代中期の女性。藤原頼成の娘。源姓でもよばれる。藤原頼通の正妻・隆姫女王と縁戚関係にあったためか、頼通の妾となり、後冷泉天皇の中宮・藤原寛子、摂政・関白・藤原師実ら五男二女を産んだ。宮中に出仕し、進命婦(しんのみょうぶ)とよばれた。贈従二位。名は「まさこ」ともよむ[1]。

死没 天喜元年5月23日(1053年6月12日))
別名 源祇子
父母 父:藤原頼成
概要 藤原祇子, 死没 ...
藤原祇子
死没 天喜元年5月23日(1053年6月12日))
別名 源祇子
官位 贈従二位
父母 父:藤原頼成
兄弟 頼長、惟綱、泰綱、清綱、頼覚、頼誉、祇子
夫 藤原頼通
子 橘俊綱、覚円、定綱、忠綱、寛子、師実、源経長室
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出自

祇子は出生がはっきりせず、異説として具平親王女とも言われる。藤原頼成は具平親王の落胤で藤原伊祐の養子とされたが、祇子も同様に具平親王の落胤で兄頼成の養子となったともされる[2]。

女房名

祇子の女房名は進命婦であり、進は官職の三等官、命婦は中級貴族出身の女房(諸説あり)という意味がある。進に関しては、大進が従六位上〜従六位下相当、少進が従六位下~正七位上相当である。皇族出身の人物としてはかなり低いが、祇子の父(または異母兄・養父)の官位は従四位下・因幡守で蔵人所の雑色を勤めていたことから、祇子の身内にそのような人物がいてもおかしくないと考えられる。[3]

所生の子女

脚注

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