藤原祇子 From Wikipedia, the free encyclopedia 藤原 祇子(ふじわら の ぎし、生年不詳 - 天喜元年5月23日(1053年6月12日))は、平安時代中期の女性。藤原頼成の娘。源姓でもよばれる。藤原頼通の正妻・隆姫女王と縁戚関係にあったためか、頼通の妾となり、後冷泉天皇の中宮・藤原寛子、摂政・関白・藤原師実ら五男二女を産んだ。宮中に出仕し、進命婦(しんのみょうぶ)とよばれた。贈従二位。名は「まさこ」ともよむ[1]。 死没 天喜元年5月23日(1053年6月12日))別名 源祇子官位 贈従二位父母 父:藤原頼成概要 藤原祇子, 死没 ...藤原祇子死没 天喜元年5月23日(1053年6月12日))別名 源祇子官位 贈従二位父母 父:藤原頼成兄弟 頼長、惟綱、泰綱、清綱、頼覚、頼誉、祇子夫 藤原頼通子 橘俊綱、覚円、定綱、忠綱、寛子、師実、源経長室テンプレートを表示閉じる 出自 祇子は出生がはっきりせず、異説として具平親王女とも言われる。藤原頼成は具平親王の落胤で藤原伊祐の養子とされたが、祇子も同様に具平親王の落胤で兄頼成の養子となったともされる[2]。 女房名 祇子の女房名は進命婦であり、進は官職の三等官、命婦は中級貴族出身の女房(諸説あり)という意味がある。進に関しては、大進が従六位上〜従六位下相当、少進が従六位下~正七位上相当である。皇族出身の人物としてはかなり低いが、祇子の父(または異母兄・養父)の官位は従四位下・因幡守で蔵人所の雑色を勤めていたことから、祇子の身内にそのような人物がいてもおかしくないと考えられる。[3] 所生の子女 長男:橘俊綱(1028-1094) - 橘俊遠の養子 次男:覚円(1031-1098) - 天台座主第34世、法勝寺初代別当 三男:藤原定綱(1032-1092) - 藤原経家の養子。 四男:藤原忠綱(?-1084) - 藤原信家の養子 長女:藤原寛子(1036-1127) - 後冷泉天皇皇后 五男:藤原師実(1042-1101) 次女:源経長室(?-1055)[4] 脚注 [脚注の使い方] [1]藤原祇子 | コトバンク [2]『栄花物語』 [3]女房名「進命婦」とは何? | 草の実堂 [4]『僧綱補任抄出』下,後冷泉天皇天喜三年項,覚助条(陳 2007, p. 5) Related Articles~TimelinesTop QsFact Checks