藤原能季
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後冷泉朝の永承3年(1048年)従五位下に叙爵し、永承7年(1052年)侍従に任官。天喜2年(1054年)従五位上・少納言に叙任されると、侍従と少納言を務めながら、天喜3年(1055年)正五位下、天喜4年(1056年)従四位下、康平2年(1059年)従四位上次いで正四位下と昇進を重ねる。康平4年(1061年)蔵人頭に補せられたのち、康平6年(1063年)になって左近衛中将に任ぜられた。
康平7年(1064年)父・頼宗の右近衛大将辞任に伴い、能長は参議に任ぜられて公卿に列すと、翌康平8年(1065年)頼宗の譲りを受けて従三位に叙せられるが、前後して頼宗が没している。参議任官後も引き続き近衛中将を務める傍ら、治暦4年(1068年)正三位、延久元年(1069年)従二位と昇叙を重ね、後三条朝末の延久4年(1072年)権中納言に昇進した。
白河朝の承保4年(1077年)正月に正二位に至るが、疱瘡に冒され同年8月1日に薨去。享年39。最終官位は権中納言正二位。9月5日にその死が奏上された。
官歴
『公卿補任』による。
- 永承3年(1048年) 正月5日:従五位下(祐子内親王御給)
- 永承7年(1052年) 2月20日:侍従
- 時期不詳:昇殿
- 天喜2年(1054年) 正月5日:従五位上(中宮御給)。2月22日:少納言
- 天喜3年(1055年) 正月5日:正五位下(皇后宮御給)
- 天喜4年(1056年) 正月7日:従四位下(中宮御給)、少納言如元、聴昇殿
- 天喜5年(1057年) 2月30日:紀伊権守
- 康平2年(1059年) 正月5日:従四位上(少納言)。2月8日:正四位下(行幸上東門院御傍親賞)
- 康平4年(1061年) 3月11日:蔵人頭
- 康平6年(1063年) 2月21日:左近衛中将
- 康平7年(1064年) 3月4日:兼近江介。12月26日:参議、右近衛中将、去介
- 康平8年(1065年) 2月3日:服解(父)。2月8日:従三位(父讓)。3月29日:復任
- 治暦2年(1066年) 2月8日:兼近江権守
- 治暦3年(1067年) 2月6日:兼左近衛中将
- 治暦4年(1068年) 11月25日:正三位(悠紀)
- 延久元年(1069年) 8月9日:従二位(石淸水賀茂行幸行事賞)
- 延久3年(1071年) 正月28日:備中権守
- 延久4年(1072年) 12月2日:権中納言
- 承保4年(1077年) 正月6日:正二位(臨時)。8月1日:薨去(疱瘡)。9月5日:薨奏