藤原行実
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白河天皇の御世である永保4年(1084年)蔵人に補され、天皇に近侍する。翌年右衛門権少尉に任ぜられ、寛治2年(1088年)従五位下・淡路守に叙任される。
白河天皇の譲位した応徳2年11月(1087年1月)に院判代官に補任されており、院近臣的な立場として活躍したと思われる。寛治4年(1090年)従五位上、さらに正五位下に進み、寛治5年(1091年)甲斐守に遷る。寛治8年(1094年)従四位下に叙され、上皇の寵愛した媞子内親王(郁芳門院)の昇殿を聴される。嘉保3年(1096年)従四位上、康和2年(1100年)さらに正四位下に進むなど急速に昇進した。この間の承徳元年12月(1098年1月)に路頭で流人源仲宗の郎等・藤原則忠に刃傷される[1][2]。
康和5年(1103年)白河上皇の尊勝寺の造宮費を寄進した功として武蔵守に任ぜられる。しかし、半年後の8月13日の夕方に卒去。最終官位は正四位下行武蔵守[3]。