藤原貞道 From Wikipedia, the free encyclopedia 藤原 貞道(ふじわら の さだみち、生没年不詳)は、平安時代初期の貴族。藤原北家末茂流、紀伊守・藤原総継の子。官位は従五位下・宮内少輔。 承和11年(844年)従五位下に叙爵する。仁明朝末の嘉祥2年(849年)美作介に任ぜられると、翌嘉祥3年(850年)貞道は所管する英多郡大領・財田祖麻呂が同郡下川会郷英多河石上で白亀1枚を捕獲した旨を奏上している[1]。 のち、斉衡3年(856年)左京亮に任ぜられると、翌天安元年(857年)宮内少輔と文徳朝末にかけて京官を務めている。また、時期は不明ながら備前守も務めた。 官歴 『六国史』による。 時期不詳:正六位上 承和11年(844年) 正月7日:従五位下 嘉祥2年(849年) 8月20日:美作介 斉衡3年(856年) 9月27日:左京亮 天安元年(857年) 6月25日:宮内少輔 時期不詳:備前守[2] 脚注 ↑ 『日本文徳天皇実録』嘉祥3年8月11日条 ↑ 『尊卑分脈』 参考文献 森田悌『続日本後紀 (下)』講談社〈講談社学術文庫〉、2010年 『尊卑分脈 第二篇』吉川弘文館、1987年 Related Articles