元文5年(1740年)藤堂家家臣藤堂新七郎良躬の五男として生まれる。母は采女家3代高稠の娘八重。幼名は「峯五郎」。[1]
延享2年(1745年)8月28日、叔父の采女家4代元杜が死去。藩命で9月22日に采女家の家督を相続する。まだ幼いため祖父高稠の弟で分家当主の元甫が、藩より看抱を命じられ、代わって上野城代に就任した。[2]
宝暦7年(1757年)上野城代に就任し、代々の通称の「采女」と名乗る。宝暦13年(1763年)養父元甫が編纂した伊勢、伊賀、志摩3国の地誌「三国地志」のうち未完成だった「志摩国」を完成させた。
天明元年(1781年)8月26日、死去。享年42。家督は嫡男元長が相続した。