藤川貴央
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関西テレビのアナウンサーだった山本浩之への憧れが高じて、アナウンサーを「職業」として意識[5]。大学生時代には藤本義一が支部長を務めていた日本放送作家協会関西支部主催の朗読劇[2][5]で平山助次郎や大石主税などを演じた。その一方で、大学3年生の時にアナウンサーになると決めたがアナウンサーが務まるかどうか、占い師の「三条の母」の所へ行った時に「本当は教師が向いているけど、アナウンサーにはなれると思う」と言われ、本人曰く三条の母に教えられたままに[5]中央放送研究会(CHK)の京都アナウンススクールに通い始める[6][5]。2009年に開かれた第7回京都学生祭典ではFM802のDJ・鬼頭由芽と共に学生司会者を務めた。
大学卒業後の2010年4月1日に福島テレビへ入社。アナウンサーとして本社の報道部に配属された。東日本大震災発生後の2011年5月1日付で、報道記者兼アナウンサーとして郡山支社へ異動[7]。『FNNスピーク』や『FNNスーパーニュース』(いずれもフジテレビ制作・FNN全国ネット)で東日本大震災関連の特集を放送する場合には福島県内の被災地から全国向けの中継リポートをたびたび担当していた。
2012年7月1日付で、福島テレビ福島本社報道部アナウンサーに復帰。復帰後は東日本女子駅伝テレビ中継での中継所実況[8]や情報番組のリポーター、定時ニュース、ナレーションなど幅広く活動した。
2013年3月15日付で福島テレビを退職[9]。翌4月1日付で、ラジオ大阪に移籍した。同局が新卒・経験者を問わず男性アナウンサーを採用するのは、1993年の田中友英(2002年4月1日付でRKB毎日放送へ移籍)以来19年振りであった。
ラジオ大阪への移籍後は2014年9月24日から2017年3月31日まで平日早朝の生ワイド番組『モーニングライダー! 藤川貴央です』のメインパーソナリティを担当。ラジオ大阪・朝日放送(現在の朝日放送ラジオ)・毎日放送(現在のMBSラジオ)といった在阪民放ラジオ3局がFM補完放送(ワイドFM)の本放送を開始した2016年には、ラジオ大阪代表の「ワイドFM大使」へ任命された[10]。これを機に朝日放送ラジオ・毎日放送のレギュラー番組、両局との共同制作による特別番組、および関連イベントにも随時出演している。
2019年にはラジオ大阪での先輩アナウンサーに当たる原田年晴が9月30日で同局を定年退職。原田の定年時点で他の正社員アナウンサーは藤川と和田麻実子しかおらず、原田も翌10月1日から嘱託契約へ移行したため、ラジオ大阪の男性正社員としては唯一のアナウンサーになった。さらに、和田は12月1日から、第2子の出産を伴う産前産後休暇を取得(翌2020年11月から復帰)。定年後もアナウンサーとして在籍している原田も2020年1月下旬から3月中旬まで悪性リンパ腫の入院加療に専念していたため、原田が同年6月に収録番組で復帰するまでは、ラジオ大阪アナウンサーとしての職務を事実上一手に担っていた。
2022年4月4日からは『モーニングライダー!』の終了以来5年振りに、平日早朝の冠生ワイド番組を『藤川貴央のニュースでござる』で担当。同年7月8日(金曜日)に奈良市で発生した衆議院議員で元内閣総理大臣の安倍晋三銃撃事件では『ニュースでござる』の本番後に事件現場である近畿日本鉄道の大和西大寺駅前で取材を重ねた末に、当日夕方の『ニュースパレード』(文化放送制作・ラジオ大阪を含むNRN33局同時ネットの全国ニュース)向けに生中継でリポートを送った。ラジオ大阪はこのリポートによって文化放送から同局やネット局の取材リポートを年に1回審査したうえで表彰する「ニュースパレード賞」の最優秀賞を受賞している[11]。
人物・エピソード
- 尊敬する人物は西園寺公望[1]。ラジオ大阪のアナウンサー中途採用試験では最終面接で「インタビューで最も話を聞いてみたい人物」を訊かれた際に、迷うことなく「(福島テレビから)『ラジオ』という未知の世界へチャレンジを試みようとしている自分のように、何度でもチャレンジに臨めるような世の中を作るために何が必要なのか、(当時『再チャレンジ』を掲げながら内閣総理大臣へ5年振りに返り咲いたばかりの)安倍晋三さんにお伺いしたい」と答えたという。実際にはラジオ大阪への入社後もインタビューの機会がないまま、安倍への銃撃事件関連の取材リポートで2022年の「ニュースパレード賞」最優秀賞を受賞。受賞発表の直後には、個人で開設しているnoteを通じて、「安倍さんのインタビューを交えた重厚な企画を制作した末にこの賞をいただくことができていれば、どれだけ良かっただろうか」との本音を明かしている[11]。
- 人形浄瑠璃文楽座の三味線奏者である鶴澤寛太郎とは大阪教育大学附属平野中学校時代の同級生で、藤川がラジオ大阪へ入社してからは、2020年5月から『寛太郎とたかおのツレビキ!』のパーソナリティを共同で務めている。
- 柔道初段で、高校時代には柔道部の主将を務めた。
- 第6回京都学生祭典で司会を任された際の研修会で、龍谷大学OBの山本浩之(当時は関西テレビアナウンサー)からアナウンスの指導を受けた。ラジオ大阪入社後の2016年3月1日には、「ワイドFM大使」の1人として、『ちちんぷいぷい』(毎日放送平日午後の情報番組)に初出演[12]。フリーアナウンサーとして当時月 - 木曜日のメインパーソナリティを務めていた山本との再会を果たした。
- 福島テレビ時代の2010年に出演したFNSの日『26時間テレビ』では、同局の「おバカ新人アナウンサーチーム」のリポートアナウンサーとして、三輪車12時間耐久レースに出場。品川庄司の品川祐から「ヘキサゴンチームのRYOEIの弟みたい」と指摘されたことから、RYOEIとのツーショット出演が実現した[13]。
- テレビ単営局(福島テレビ)からラジオ単営局(ラジオ大阪)への移籍を決めた直接のきっかけは、東日本大震災の発災直後に立ち会った福島県庁での記者会見である。福島県がその会見で福島第一原子力発電所事故の発生を初めて公表したことから、会見の模様を収録したVTRを福島テレビの本社へ届けようと県庁の階段を下りたところ、地元のラジオ単営局であるラジオ福島の記者が自社向けの生中継で会見の模様をいち早く伝えていた。地元在阪局への就職を希望していた大学生時代にリーマン・ショックの影響で各局ともアナウンサーの採用を控えていたことに加えて、この光景でラジオ局の機動力を改めて認識したことから、ラジオ大阪への中途採用試験に応じたという。
- ラジオ大阪への移籍後にレギュラーで出演した『スパメン!』では、火曜日のパーソナリティと、水曜日の生中継リポーターを担当。生中継では体を張ったリポートが多く、バンジージャンプにも挑戦した[14]。
- ラジオ大阪への移籍後に『モーニングライダー!』のパーソナリティへ起用された時点での年齢は27歳で、朝日放送・毎日放送を含む関西地方のラジオ局が平日の早朝に制作・放送する生ワイド番組では最年少のレギュラーパーソナリティであった[15]。同番組では、「大阪の標準地」であることを自任している地元大阪市旭区の千林商店街で、毎週水曜日の本番終了後に街頭インタビューを担当。翌日(木曜日)の放送では、「たかおが行く!」というコーナーで、インタビューの模様を収録した音源の一部を流している[3]。
- 福島テレビのアナウンサー・記者時代に東日本大震災関連の取材を経験してきたことから、ラジオ大阪移籍後の2015年以降は、同局を代表してAMラジオ災害問題協議会統一防災キャンペーンのスポットCMに起用。同協議会による1月17日の阪神・淡路大震災発災日前後や9月1日の防災の日前後に協議会参加各局で放送される防災情報企画「いのちのラジオ」でも、ラジオ大阪担当分の企画で取材リポーターを務めている[16]。「ワイドFM大使」に任命された直後のPRイベントでは、「(東日本大震災発生直後の)ラジオには、あしたも生きていくための情報がたくさん入っていた」という表現で、防災の観点からワイドFMの役割を訴えた[10]。
- ラジオ大阪移籍後の2016年には、R-1ぐらんぷり2016の予選に出場。生類憐れみの令をニュース風に仕立てたネタで1回戦を突破した[17]ものの、2回戦で敗退した[18]。
- 2018年から2020年11月29日まで『OBCドラマティック競馬』のプロデューサーを兼任していたことを、退任直後の2020年12月3日にラジオ大阪の「アナウンサーブログ」で初めて公表した。本人曰く「番組の制作プロセスを学ぶための兼任」とのことで、CHK京都アナウンススクールで指導を受けた濱野圭司(フリーアナウンサー)が着任前からメイン実況を務めていることなどから、アナウンサーとしてレースを実況する機会はなかった[19]。
- 『モーニングライダー!』の終了から5年後の2022年4月からは、ラジオ大阪の多くの社員から推挙されたことなどを背景に、『藤川貴央のニュースでござる』で平日早朝の生ワイド番組のパーソナリティへ返り咲き。『ニュースでござる』では、2020年10月に結婚していたことを、初回(2022年4月4日放送分)のオープニングトークで初めて公表した。本人によれば、結婚した時点では『藤川貴央のDMZ』など放送で私生活を明かさなくても成り立つ音楽関連の番組のパーソナリティを主に務めていたこともあって、「一会社員(ラジオ大阪の正社員)に過ぎない自身の結婚を番組で公表することに抵抗はあった」という。しかし、「平日に帯の生放送番組を(『ニュースでござる』で再び)担当するからには、パーソナリティの生活感を(放送を通じて)出すことも必要」との思いから、『ニュースでござる』のスタートを機に公表へ踏み切った[20]。