父・胖は旧盛岡藩士で、北海道に渡り実業家として成功、屯田銀行頭取を務めた人物(1843-1899年)。兄・藤村操は旧制一高在学中の1903年に「巌頭之感」を書き残し、日光の華厳滝で投身自殺したことで知られる。妹・恭子は哲学者の安倍能成(操の同級生)と結婚。妻・貴美は櫻井房記の長女[3][5]で、朗・貴美夫妻は3男1女をもうけた[3]。
化学者の櫻井錠二(房記の弟で貴美の叔父)は義叔父[6]。三菱重工業社長を務めた櫻井俊記(房記の長男で貴美の兄)は義兄[5]。岩崎弥之助の三男で実業家の岩崎輝弥は義弟(妻の須美は貴美の妹)に当たる[5][7]。