藤次寺
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| 藤次寺 | |
|---|---|
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本堂 | |
| 所在地 | 大阪府大阪市天王寺区生玉町1-6 |
| 位置 | 北緯34度39分57.37秒 東経135度30分53.84秒 / 北緯34.6659361度 東経135.5149556度 |
| 山号 | 如意山 |
| 宗派 | 高野山真言宗 |
| 本尊 | 如意宝珠融通尊 |
| 創建年 | 弘仁年間(810年 - 824年) |
| 開基 | 任瑞、藤原冬嗣(発願) |
| 別称 | 大阪の融通さん |
| 札所等 | 摂津国八十八箇所第19番 |
| 公式サイト | 融通さんまいり 如意山藤次寺さん |
| 法人番号 | 1120005001492 |
藤次寺は弘仁年間(810年~824年)に藤原冬嗣の発願により、甥(おい)の、任瑞上人を開基とする。藤原家の安泰を願い建立された。藤原家を治める寺であるでゆえに、藤冶寺と称していたが、明治初年には、生玉十坊の一つである地蔵院を合併し、藤次寺と改称し、現在に至っている。
藤原氏の祈願寺として、藤原氏一門より、深い帰依を受け栄えていたが、寺運の盛衰があった。慶長年間(1596年~1615年)に、加藤清正が大檀主となり、金堂、伽藍、堂宇などを建立した。広大な寺域(境内)を持ち、壮観であったと言う。
中興憲遵阿闍梨の時には、如意宝珠融通尊への信仰が盛んになり、「大阪の融通さん」と称されて、多くの人々の信仰を集めている。 明和元年(1764年)、中興清範和上の時、九条尚実が家運長久を祈るため永代不易の祈願寺として改めて、旨辞を授けた。江戸時代末まで、九条家(五摂家の一つ。藤原兼実が祖。)の祈願寺であった。
しかし、昭和20年(1945年)3月、戦災により藤次寺は全焼した。都市計画のために境内地の移転があった。昭和35年(1960年)に金堂、庫裡、寺務所が完成した。
藤次寺の塀の前(山門近く)に、如意山 藤次寺、融通さんまいりと記された石碑がある。
文化財
- 大阪府指定文化財
- 木造弘法大師坐像 「永享九年三月廿一日大佛師七條康秀法眼」 の墨書銘あり