藤沢哲也
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鶴崎工業高校では、3年生時の1971年にエース、四番打者として夏の県大会に出場。県大会、中九州大会を通じ6試合に無失点を記録、55三振を奪う。甲子園出場を決めた中九州大会決勝では尾西和夫、春日祥之輔のいた中津工と対戦し、ノーヒットノーランを演じた。しかし本大会では1回戦で静岡学園に敗退[1]。この試合では制球を乱し、2イニングを投げたのみに終わった。
同年のドラフト1位で中日ドラゴンズに入団。大型左腕として期待されたが、肩の故障もあってなかなか一軍には上がれなかった。1974年10月14日の長嶋茂雄の引退試合で一軍初登板を果たす。柴田勲、高田繁に連続本塁打を喫するが、この年三冠王の王貞治から三振を奪った[注 1]。中日での登板はこの1試合のみに終わり、1975年オフに西岡三四郎との交換トレードで星野秀孝と共に南海ホークスに移籍。南海でも1979年の1試合のみの登板に終わり、1980年オフに引退。
ノーワインドアップから、快速球を思い切って投げる。また外角へカーブ、シュート、内角へ速球を投げてゆさぶる投球が特徴。
社会人野球・クラブチームの大分ソーリンズ野球倶楽部で投手コーチを務めていた。また、母校の鶴崎工業高校野球部OB会会長を務めていたが、2024年1月9日に逝去[2]。