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藪波村

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廃止日 1954年7月20日
廃止理由 新設合併
津沢町、藪波村、水島村 → 砺中町
現在の自治体 小矢部市
国 日本の旗 日本
やぶなみむら
藪波村
廃止日 1954年7月20日
廃止理由 新設合併
津沢町、藪波村、水島村 → 砺中町
現在の自治体 小矢部市
廃止時点のデータ
国 日本の旗 日本
地方 中部地方(北陸地方)
都道府県 富山県
郡 西礪波郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 7.53[1] km2.
総人口 2,074[2]人
(1953年(昭和28年)3月[2])
隣接自治体 石動町、水島村、津沢町、西野尻村、東蟹谷村
藪波村役場
所在地 富山県西礪波郡藪波村大字浅地[3]
座標 北緯36度38分18秒 東経136度52分26秒 / 北緯36.63839度 東経136.87386度 / 36.63839; 136.87386座標: 北緯36度38分18秒 東経136度52分26秒 / 北緯36.63839度 東経136.87386度 / 36.63839; 136.87386
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藪波村(やぶなみむら)は、かつて富山県西礪波郡にあった村。現在の小矢部市中南部の薮波地区で、全域に散居村が広がる。北陸自動車道の小矢部川サービスエリアも地区内にある。

村名は、万葉集の大伴家持の歌『荊波の里に宿借り春雨にこもりつつむと妹に告げつや』による。荊波の里の意味は、家持が砺波地方を巡視した頃、当地方は未開の地で雑草、雑木の薮原であったことが由来となっている[3]。

  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、礪波郡四日町村、石坂出村、下次郎島村、高木村、浅地村の区域の一部、安養寺新村の区域の一部、戸久新村の区域の一部、島出村の区域の一部、島村の区域の一部、茄子島村の区域の一部、名畑村の区域の一部及び経田村の区域の一部の区域をもって、礪波郡藪波村が発足する。
    • 当初は、浅地村外12ヶ村の戸長役場管轄を藪波村、小森谷村外15ヶ村を管轄する蟹谷村という原案であった(これは富山県より諮門されていた)。しかし、両村中央部の平桜村外6ヶ村が反対し、同区域で1村の新設を主張したことから、二村分立は区域が過大であるとの見解が成立し、西部を北蟹谷村、中部を東蟹谷村、東部を藪波村として調整されたといわれている[4]。
  • 1890年(明治23年) - 旧戸長役場の当時から借り受けていた仲平宅を引き続き借り受け、村役場を開始[5]。
  • 1896年(明治29年)3月29日 - 郡制の施行のため、礪波郡が分割して、西礪波郡が発足により、西礪波郡に所属となる。
  • 1901年(明治34年)4月 - 独立の村役場庁舎が建設開庁(1900年〔明治33年〕に石動町より民家を買い受け改造。建設総経費は530円)[6]。
  • 1927年(昭和2年)10月 - 津沢町の宮永企業場の住宅総木當造の建物を買い取り一部改造し、役場庁舎とする、年内に建築が終了し、1928年(昭和3年)3月27日に設備完了し開庁式が挙行される。以降は砺中町発足まで村役場として使用され、その後は藪波公民館となった[6]。
  • 1954年(昭和29年)7月20日 - 西礪波郡津沢町、藪波村及び水島村が合併して、西礪波郡砺中町が発足する。
    • 津沢町を中心とする合併案作成について、藪波村では一部分村して石動、津沢両町に合併する意見もあったが、分村は村の立場を考えると不利であるとして、挙村一致の態勢で津沢町へ合併する事を決めた[7]。

歴代村長

出典→[8]

  1. 仲平(1889年8月 - 1890年4月)
  2. 兜谷徳平(1890年4月18日 - 1894年4月27日)
  3. 柴田久一郎(1895年3月20日 - 1899年4月27日)
  4. 石野藤作(1899年4月14日 - 1901年3月1日)
  5. 柴田久一郎(1901年3月14日 - 1903年6月7日死亡)
  6. 吉岡良作(1903年7月15日 - 1928年10月3日)
  7. 林田長作(1928年10月20日 - 1938年1月28日)
  8. 石野庄作(1938年2月5日 - 1944年12月27日)
  9. 佐土外松(1945年1月22日 - 1945年11月16日)
  10. 吉岡太郎平(1945年12月3日 - 1946年12月9日)
  11. 西尾竹次郎(1947年4月6日 - 1954年9月合併により失職)

参考文献

脚注

関連項目

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