蘆名盛俊
日本の江戸時代の武士
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概略
家族
- 盛俊には兄に蘆名盛泰(1595-1616、父・蘆名義勝正室・小杉山御台の嫡男)がおり、大坂の陣の際2度とも伯父で久保田藩主の佐竹義宣に従って出陣し、将軍徳川秀忠に謁見している。跡継ぎのなかった佐竹義宣の養嗣子となることが内定していたが、22歳で病死した。[2]
- 盛俊の母安昌院(初代義勝側室)は、子の盛俊・孫の千鶴丸の死後も、角館古城山南麓の「山屋敷」と呼ばれた地に居住し元禄4年(1691年)まで生きた。
- 盛俊の正妻松寿院は、千鶴丸の死去後は実家の宇都宮家に戻った。浄土宗の信者であった松寿院の帰依篤かった角館報身寺には、夫蘆名盛俊と夭折した千鶴丸の供養のために鋳造させた大梵鐘が寄進されている。松寿院自身は江戸の芝増上寺に葬られたが、その遺言によって報身寺に分骨が葬られた。