蘆野氏
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戦国時代
16世紀中期頃になると、元々独立性が強かった蘆野氏ら上那須衆は、常陸国の佐竹家と結び、那須家に対して敵対姿勢を露わにした。その後上那須衆は那須家との戦を繰り返したが、いずれも退けられ永禄11年(1568年)に那須家と和睦。以後、那須家中として資胤・資晴に仕えた。
天正18年(1590年)の小田原征伐に際して、当主であった盛泰は小田原に赴き豊臣秀吉に謁見した。奥州仕置の際には茶亭を儲け諸将を慰労するなどして、秀吉から腰刀の刀と黄金を賜るとともに所領を安堵された。秀吉の形見分けの際は孫六の刀を渡された。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの際には、当主であった政泰が上那須衆とともに東軍に組し、江戸に人質を送ることで恭順の意を示した。また上杉家の南下に備え、蘆野の防備を固めた。これにより後に300石の加増を受けた。また慶長7年(1602年)には1,600石の加増を受け、蘆野家の知行は2,700石となった。