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蜃気楼龍玉

落語家の名跡 From Wikipedia, the free encyclopedia

蜃気楼 龍玉(しんきろう りゅうぎょく)は、落語家名跡三代目が2026年6月に死去したため、現在は空き名跡である。

初代

概要 本名, 生年月日 ...
初代 蜃気楼しんきろう 龍玉りゅうぎょく
本名 住田 金作
生年月日 1827年
没年月日 1889年9月18日
出身地 日本の旗 日本
師匠 二代目立川金馬
名跡 1. 立川金作
2. 初代蜃気楼龍玉
活動期間 ? - 1889年
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初代 蜃気楼 龍玉1827年(逆算) - 1889年9月18日)は落語家。本名:住田 金作

経歴

二代目立川金馬に入門し、本名の金作を取って「立川金作」を名乗る。そののち「(初代)蜃気楼龍玉」に改名している。

大酒飲みで、酒癖の悪さからトラブルを起こすこともあり、席亭から禁酒を促されても上手くいかず、遂には寄席への出演を差し留められてしまった。

その後は大道講釈を行い生計を立てていたが、生活はますます苦しくなって好きな酒を口にすることも出来なくなり、失意のまま亡くなった。享年63。

芸風

人情噺の上手さは名人級であった。

得意ネタ

弟子

2代目

概要 本名, 生年月日 ...
二代目 蜃気楼しんきろう 龍玉りゅうぎょく
二代目 蜃気楼(しんきろう) 龍玉(りゅうぎょく)
本名 斎藤 愛之助
生年月日 1867年1月10日
没年月日 不詳年
出身地 日本の旗 日本群馬県高崎市
師匠 初代三遊亭遊輔
二代目三遊亭小圓朝
四代目橘家圓喬
弟子 二代目柳亭市馬
名跡 1. 三遊亭高輔
2. 三遊亭圓平
3. 三遊亭圓璃
4. 二代目三遊亭遊輔
5. 二代目蜃気楼龍玉
活動内容 落語
幇間
配偶者 立花家朝治(後に離婚)
家族 三代目三遊亭小圓遊(息子)
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二代目 蜃気楼 龍玉1867年1月10日 - 没年月日不詳)は群馬県高崎市出身の落語家。本名:斎藤 愛之助。息子は同じく落語家の三代目三遊亭小圓遊

経歴

最初は初代三遊亭遊輔に入門し「高輔」を名乗る。その後二代目三遊亭小圓朝門下で「三遊亭圓平」となる。

さらに四代目橘家圓喬門下で「三遊亭圓璃」と改名する。この時期に立花家朝治(岸上 のぶ)と結婚する。朝治との間の娘も寄席芸人立花家歌子(岸上 きみ、後に大和楽演奏家となる)といい、明治末から大正にかけて寄席で朝治や岸沢式多津(西川 たつ)などと共にアイドル的な存在だった。

圓喬の死後に独立し、最初の師匠の名であった「二代目三遊亭遊輔」を名乗る。1919年2月、「誠睦会」に属し「二代目蜃気楼龍玉」を襲名することになる。

実子小圓遊は、1926年北海道巡業中の函館腸チフスにかかり亡くなっている。妻の朝治と別れ、自身も寄席から退いていた時期の出来事であった。以前から親子の不仲説が絶えなかったが、亡くなって数日後に函館で追善興行を行なっている。それ以降は故郷高崎で隠居の身に入り、特別な時のみ寄席に出演するようになる。

1938年3月に高齢の理由から引退した。以後は渋谷で龍玉のまま幇間になり、時折演芸会に出演していた。終戦のころに亡くなったという。

芸風

落語は芝居噺を得意とした。

他にも筆もたち、風流も好み、俳句都々逸も吟じた。また、即席問答なども巧みなものだった。 

弟子

脚注

出典

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