蜃気楼龍玉
落語家の名跡
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初代
2代目
二代目 蜃気楼 龍玉(1867年1月10日 - 没年月日不詳)は群馬県高崎市出身の落語家。本名:斎藤 愛之助。息子は同じく落語家の三代目三遊亭小圓遊。
経歴
最初は初代三遊亭遊輔に入門し「高輔」を名乗る。その後二代目三遊亭小圓朝門下で「三遊亭圓平」となる。
さらに四代目橘家圓喬門下で「三遊亭圓璃」と改名する。この時期に立花家朝治(岸上 のぶ)と結婚する。朝治との間の娘も寄席芸人で立花家歌子(岸上 きみ、後に大和楽演奏家となる)といい、明治末から大正にかけて寄席で朝治や岸沢式多津(西川 たつ)などと共にアイドル的な存在だった。
圓喬の死後に独立し、最初の師匠の名であった「二代目三遊亭遊輔」を名乗る。1919年2月、「誠睦会」に属し「二代目蜃気楼龍玉」を襲名することになる。
実子小圓遊は、1926年に北海道巡業中の函館で腸チフスにかかり亡くなっている。妻の朝治と別れ、自身も寄席から退いていた時期の出来事であった。以前から親子の不仲説が絶えなかったが、亡くなって数日後に函館で追善興行を行なっている。それ以降は故郷高崎で隠居の身に入り、特別な時のみ寄席に出演するようになる。
1938年3月に高齢の理由から引退した。以後は渋谷で龍玉のまま幇間になり、時折演芸会に出演していた。終戦のころに亡くなったという。
芸風
落語は芝居噺を得意とした。
弟子
脚注
出典
- 諸芸懇話会、大阪芸能懇話会共編『古今東西落語家事典』平凡社、ISBN 458212612X