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蜃気楼龍玉 (3代目)

埼玉県秩父市出身の落語家 (1972-2026) From Wikipedia, the free encyclopedia

三代目 蜃気楼 龍玉(しんきろう りゅうぎょく、1972年〈昭和47年〉11月10日[1] - 2026年〈令和8年〉6月11日[1][2])は、埼玉県秩父市出身[1]の落語家。本名∶加藤 暢彦[1]。出囃子は『三下り箱根八里』。

本名加藤(かとう) 暢彦(のぶひこ)[1]
生年月日1972年11月10日
没年月日 (2026-06-11) 2026年6月11日(53歳没)
概要 本名, 生年月日 ...
三代目 蜃気楼(しんきろう) 龍玉(りゅうぎょく)
Shinkirô Ryûgyoku the 3rd
三代目 蜃気楼(しんきろう) 龍玉(りゅうぎょく)Shinkirô Ryûgyoku the 3rd
蜃気楼龍玉定紋「裏梅」
本名 加藤(かとう) 暢彦(のぶひこ)[1]
生年月日 1972年11月10日
没年月日 (2026-06-11) 2026年6月11日(53歳没)
出身地 日本の旗 日本・埼玉県秩父市[1]
師匠 六代目五街道雲助
名跡 1. 五街道のぼり
(1997年 - 2000年)
2. 金原亭駒七
(2000年 - 2005年)
3. 五街道弥助
(2005年 - 2010年)
4. 三代目蜃気楼龍玉
(2010年 - 2026年)
出囃子 川風
三下り箱根八里
活動期間 1997年 - 2026年
所属 落語協会
受賞歴
第5回岡本マキ賞(2000年)
第18回北とぴあ若手落語家競演会 北とぴあ大賞(2008年)
第69回文化庁芸術祭新人賞(2014年)
平成27年度国立演芸場花形演芸大賞(2016年)
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経歴

秩父市立南小学校、秩父市立第二中学校、埼玉県立小鹿野高等学校中退。落語家になる前は大工をしていた。

1997年2月、五街道雲助に入門。前座名は「のぼり」。

2000年5月に第5回岡本マキ賞を受賞。6月に二ツ目昇進、「金原亭駒七」に改名。2005年2月に「五街道弥助」と改名した。2008年2月、第18回北とぴあ若手落語家競演会北とぴあ大賞を受賞。

2010年9月に入船亭扇里、林家きく麿、三遊亭鬼丸、五代目柳家小せんと共に真打昇進、三代目蜃気楼龍玉を襲名。同時に真打に昇進したメンバーで「落語者(らくもんず)」というユニットを結成、北関東を中心としたエリアのホールで落語会を開いていた。

2014年12月、第69回文化庁芸術祭新人賞を受賞。2016年3月に、平成27年度国立演芸場花形演芸大賞を受賞[3]。

2026年6月11日、心不全のため、死去した[4]。53歳没。訃報は同月18日、落語協会より公表された。生前最後の定席出演は同年5月30日の黒門亭[5]で、最後の高座と演目は同年6月6日、東池袋・あうるすぽっとでの独演会における『怪談乳房榎』通し口演であった[6]。

晩年は体調を崩しがちであった[2]が、亡くなった当日は横浜にぎわい座で兄弟子の隅田川馬石との二人会が予定されていた[7]など、その後も定席や複数の落語会の出演予定が組まれていた[8]。

師匠の五街道雲助は6月18日に自身のサイトの「お知らせ」欄で龍玉への追悼文を公開、コメントとした[9]。その後7月1日にお悔やみの言葉への御礼を公開した[10]。

芸歴

演目

師匠譲りの古典落語のほか、自身の落語会などでは三遊亭圓朝作の長編の人情噺や怪談噺に境地を開き、さらには人間の心の奥底にある業や闇を描き出す暗く重厚な噺において、抜群の定評を獲得していた。端正な顔立ちからは想像もつかない、ドスの利いた独自の低い声は聴き手の心を一瞬で引き込み、落語ファンの間では畏敬の念を込めて「殺しの龍玉」という異名で称されていた[2]。

怪談噺

廓噺

新作落語・その他

亡くなる直前の2026年5月26日「師弟四景」(東京・中央区立日本橋公会堂)での「露出さん」は、雲助の依頼で会を収録していた草柳俊一により音源が残されている[11]。

出演

CD

  • 親子できこう 子ども落語集 ねどこ・いちがんこく (日本コロムビア、2025年1月)COCJ-38965 - 「一眼国」収録

インターネット

追悼

ラジオ

  • 真打ち競演(2026年7月25日、NHK-AM) - 2025年4月12日の五街道雲助との親子会の再放送。演目は「鹿政談」。

脚注

外部リンク

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