蝋山道雄
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東京都出身[1][2]。父は政治学者の蠟山政道。東京高等師範学校附属中学校、旧制第一高等学校卒。1953年、東京大学法学部を卒業[1]。国際文化会館調査室長を務め、上智大学外国語学部・同国際関係研究所で長く教鞭をとった。「現実主義」の論客として論壇で活躍する。
1960年代末、内閣調査室が委託した核兵器開発の可能性検討を行なう学者グループの中心となり、日本の独自核武装について否定的な報告をまとめた(日本の核武装論#これまでの動き参照)。
1970年には菊地昌典、西川潤らとともに、公明党の提唱した日中国交正常化国民協議会の代表世話人となり、民間から中国との国交正常化を推進した。国交正常化直前の1972年7月に北京を訪問している。その後も国民協議会の後身である日中友好学術交流協議会による学術交流や、1987年に設立されたアジア教育文化交流協会理事長として、留学生支援などを行なった。