蠣崎季繁

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蠣崎 季繁(かきざき すえしげ)は、室町時代中期の武士。上之国花沢館(現在の北海道檜山郡上ノ国町)主。上国守護職

生誕 不明
概要 凡例蠣崎季繁, 時代 ...
 
蠣崎季繁
時代 室町時代
生誕 不明
死没 寛正3年5月12日1462年6月9日
氏族 若狭武田氏?→蠣崎氏
安東政季
信繁
武田信広
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略歴

若狭国守護武田信繁の近親で、蝦夷地に渡って下之国安東政季の娘婿となり、蠣崎氏を名乗って花沢館に住んだとされるが、様々な伝承があり定かではない。

嘉吉3年(1443年)、陸奥国から蝦夷地に渡り花沢館を築城した。

康正2年(1456年)、安東政季は分家で秋田郡の領主・秋田城介安東尭季(惟季)の招きに応じ秋田小鹿島(現秋田県男鹿市)に移る際に、茂別館主の安東家政下国守護)、大館館主の下国定季松前守護)、花沢館館主の季繁(上国守護)の3名を「守護」に任じたとされているが、実態は安東家政あるいは安東定季が一人守護として統括していたとする見解[1]も出されている。(新羅之記録)

長禄元年(1457年)、コシャマインの戦いの際に客将・武田信広が和人軍の総大将としてこれを鎮圧したことから、養女(安東政季の娘)を嫁がせ家督を継がせたとされる。

長禄4年(1460年)、蠣崎信広に家督を譲る[注釈 1]

寛正3年(1462年)、死去。

系譜

  • 父:不詳
  • 母:不詳
  • 室:安東政季
  • 生母不明の子女
    • 男子:蠣崎信繁 - 早世?
  • 養子

注釈

  1. 勝山館主・蠣崎信広が蠣崎氏の「始祖」として扱われており[2]、蠣崎氏(松前氏)の代数は信広を初代として世数が記述されている[3]蠣崎氏も参照)。

脚注

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