行谷村

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行谷村神奈川県茅ヶ崎市の大字。江戸時代の名称は行谷村(なめがやむら)。石高約127石。[1]

天文年間(1532年-1533年)に北条氏康旗本行谷藤九郎所領となり、芹沢村から草分けされ設立[2]。天正十八年(1590年豊臣秀吉によって後北条氏が滅亡し、徳川家康所領になる[1]。慶長八年、幕府直轄地として、代官馬場儀兵衞領となる。明治元年八月、韮山県所属。同年十月、神奈川県所管[1]

宝蔵院流槍術[1]

開祖不明も、過去帖に1人のみ院殿居士あり[1]

野中邸及び、西隣白石邸内に道場あり。野中家は、曹洞宗宝蔵院中興の祖。元禄八年(1695年)の戒名は、威雄院精翁居士[1]。野中忠右衛門のあと、隣村芹沢村地方役人を務めた常盤家より常盤重右衛門が入夫[1]。野中重右衛門となった。重右衛門の孫である守三郎小出村議員に3回当選。また、野中広作は、近衛歩兵第一連隊に選抜されている[1]

村内所有石高(文政3年/1820年)

野中清兵衛傷害事件

出典・参考文献

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