西城正明
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東京都江東区出身[2]。実家は江戸川区平井で精肉店と芝居小屋を営んでいた。男4人女4人の8人きょうだい。城西高等学校では野球部に所属、法政大学に進学するも、身長164cmと小柄であったことと1年後に山本浩二、田淵幸一といった大物即戦力が入部するという情報を聞き野球部への入部を思い留まる。在学中に姉を頼りクラウン系の歌手として活動を始める[2]。芸名を母校である城西を逆さにした西城正明としてデビューするものの姉の五月みどりのように売れることは無かった。
そんな時、流行し始めたボウリングに出会い夢中になったという。体は小さかったものの、元々運動神経が抜群だったのと人の真似をするのが得意だった西城はプロボウラーたちの動きの特徴を捉え、投球フォームを自分のモノにした。その結果、数カ月で200を超えるスコアが出せるようになっていた。
ある日「週刊明星オールスターボウリング大会」の告知を見つけ出場したいと思ったものの、歌手とはいえ当時無名だった西城には大会からの招待が来る事は無いので姉の五月みどりにに頼んで出場できるように口を聞いてもらったという。大会の会場は港区にあった東京タワーボウリングセンターで西城は3ゲーム計621ピン、アベレージ207で1位通過を果たす。会場内では「西城って誰?」「五月みどりの弟らしいよ」って騒がれた。優勝決定戦は他の3人を破って勝ち上がった大橋巨泉との対戦となったが2ピン差で惜しくも敗れた。それでも解説席から『西城さん上手いね。練習すればプロになれるよ』という声を聞いた西城は本気で日々練習を重ね、2年後にプロテストに一発合格し、晴れてプロボウラーになる。
プロボウラーとしてその後
1970年に25歳で日本プロボウリング協会(JPBA)8期生としてプロデビュー(JPBAライセンスNo.190)[1]。
1972年1月7日、ハイシリーズ9の合計スコア2433ピンを打ち日本記録を達成した。なお、この記録は未だ破られていない。
1974年、7歳年上の女子プロボウラー須田開代子と結婚[2]。
1977年12月開催の第11回全日本プロボウリング選手権大会にて優勝。念願の全日本タイトルを獲得。
1978年3月、第一子男児誕生。
1984年、39歳でカラオケスナック店を開業するが約5年後に厨房から出火し火災に見舞われる。
1985年、須田開代子と離婚。
1996年、アメリカのShowboatで開催されたPBA Senior Invitationalでは、たった一個のボールを持ち込み日本人として初の優勝を飾る[3]。
2009年2月9日に横浜市中区関内に得意な料理の腕前を生かすべく、家庭料理店『おひまなら来てネ』をオープンしたものの[2]、不整脈を発症しわずか1年程で閉店、多額の借金が残った。店自体は繁盛していたが、料理の単価が600円で[2]、『夕刊フジ』を持参すれば半額というサービスも行っていたため[2]、経営面としては厳しかった。姉の五月みどりは幼少時から西城に対して厳しく接して来た為、怖くて金銭の相談ができなかったという。
2010年2月27日、社団法人日本プロボウリング協会へ退会届を提出しプロライセンスを返上[4]。
2018年、JPBA日本プロボウリング協会より「時代を超えてファンから愛されたカリスマボウラー」として日本プロボウリング殿堂表彰を受け殿堂入りを果たす[5]。
男子プロトーナメントでは矢島純一の41勝、酒井武雄の36勝に次ぐ35勝、公認パーフェクト17回、800シリーズ7回を誇る[1]。