西岡智
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大阪市東住吉区矢田の被差別部落で五女二男の長男として生まれ育つ。祖父は和泉国信太村の出身で、被差別部落の庄屋であった。
戦時中は愛国少年団の団長を務め、特攻隊志望の軍国少年であった[3]。私立浪速中学から大阪府立高津高等学校定時制在学中、マルクス・レーニン主義と出会う。弁護士を志望して慶應義塾大学法学部(通信制)に学び、在学中、1953年、部落解放同盟に参加し松本治一郎の客分秘書となる。
1958年、部落解放同盟大阪府連合会矢田支部を結成し初代書記長に就任。のち大阪府連書記長などを歴任。
狭山中央闘争本部事務局長として狭山闘争を指導したが、新左翼との協力を主張して朝田善之助と対立。のち事務局長を解任される。
1981年、部落解放同盟小倉地協書記長が有罪判決を受けた北九州土地転がし事件に際し、部落解放同盟の内部の腐敗を批判する意見書を駒井昭雄とともに提出して上杉佐一郎と対立。このため、1982年、中央執行委員から外される。対立組織からは「朝田派のなかでもっとも狡猾な実権派」と評された[4]。