西島克彦
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1960年2月4日、東京で誕生した直後に千葉県船橋市へ移る。学生時代に漫画家を志し、『機動戦士ガンダム』のファンだったことから、大学中退後に富野由悠季へ手紙を送り、日本サンライズへの入社を志願する。それは叶わなかったが、サンライズの岩崎正美プロデューサーの紹介で芦田豊雄率いるスタジオ・ライブの入社試験を受験し、同社に入社する[1][2]。
1981年のテレビアニメ『うる星やつら』の放送開始後、スタッフ参加を芦田へと直訴する。これには、かねてから西島が原作の『うる星やつら』のファンであったことと、当時担当していた『Dr.スランプ アラレちゃん』の絵柄が西島には描きにくいものだったという理由があった[2]。当時、『うる星やつら』のアニメーション制作を担当していたぴえろとライブの間に業務関係はなかったが、芦田から作画監督の野辺駿夫へ紹介される形で作画スタッフとなった[1]。1983年放映の105話(82回)「太陽がいっぱい浮気がいっぱい」にて初の作画監督を務めた(遠藤麻未と共同)後、『銀河漂流バイファム』の原画を担当することとなり、一時『うる星やつら』の原画ローテーションから抜けることとなったが、制作会社が、スタジオぴえろからスタジオディーンに移った後に、西島もスタジオ・ライブからスタジオディーンに移籍[3]し、再び『うる星やつら』のスタッフとなった。
1984年には増尾昭一、庵野秀明、伊藤浩二と共にフリーランスのアニメーター集団スタジオ・グラビトンの設立にも参加した[4]。『うる星やつら』の放送終了後、1986年公開の劇場アニメ『プロジェクトA子』で初監督を務める。1990年代以降は監督業へ本格的に取り組むようになり、フリーとしてスタジオ・ファンタジアを中心に活動[5]していた。