西川春洞
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略歴
肥前唐津藩士、元琳の子として江戸の日本橋に生まれる。西川家は代々、医をもって唐津藩に仕えた。春洞は幼少の頃、祖父の亀年に書を学び、のち嘉永4年(1851年)5歳のときから中沢雪城の門で学んだ。6歳のときにはすでに楷書千字文を書いている。維新前には尊王攘夷を唱え国事に尽くし、明治元年(1868年)22歳のとき大蔵省に出仕したがまもなく辞め、書道に専念した。
明治15年(1882年)中林梧竹が余元眉の影響で清国に渡り、続いて明治24年(1891年)日下部鳴鶴が楊守敬の影響により渡清するが、春洞は日本で秋山碧城が清国から持ち帰った徐三庚の書を双鉤塡墨して学び、徐三庚への傾倒が始まる。晩年、明治書道会を興し、大正4年(1915年)69歳で歿した。