中沢雪城
日本の書家 (1808-1866)
From Wikipedia, the free encyclopedia
業績
略歴
越後長岡(現在の新潟県長岡市)藩士・中沢俊福の二男として生まれた。天保7年(1836年)巻菱湖の門に入り、よく師風を継いだ。資性は豪放磊落であったという。三重県津藩の藤堂侯に仕え、両国薬研堀(現在の東日本橋)に住した。肥前蓮池藩主・鍋島直与からも目をかけられ、天保10年(1839年)10月に同藩の江戸藩邸に招かれたほか、弘化2年(1845年)9月には蓮池を訪れ直与に対面を果たしている。安政4年(1857年)49歳のとき、斎藤拙堂と『三体筆陣雋語』(さんたいひつじんしゅんご)を著し、慶応2年(1866年)57歳で没した。
菱湖四天王の中では萩原秋巌に次いで手がけた石碑の数が多く、全国に28基を確認できる[3]。