西敬寺 (飯山市)

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所在地 長野県飯山市飯山2125
位置 北緯36度51分5.3秒 東経138度21分35.8秒 / 北緯36.851472度 東経138.359944度 / 36.851472; 138.359944座標: 北緯36度51分5.3秒 東経138度21分35.8秒 / 北緯36.851472度 東経138.359944度 / 36.851472; 138.359944
山号 倉科片雄山
院号 報恩院
西敬寺
所在地 長野県飯山市飯山2125
位置 北緯36度51分5.3秒 東経138度21分35.8秒 / 北緯36.851472度 東経138.359944度 / 36.851472; 138.359944座標: 北緯36度51分5.3秒 東経138度21分35.8秒 / 北緯36.851472度 東経138.359944度 / 36.851472; 138.359944
山号 倉科片雄山
院号 報恩院
宗派 真宗大谷派
本尊 阿弥陀如来
創建年 建長7年(1255年
開山 善巧
法人番号 2100005005040 ウィキデータを編集
西敬寺の位置(長野県内)
西敬寺
西敬寺
西敬寺 (長野県)
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西敬寺(さいきょうじ)は、長野県飯山市にある真宗大谷派寺院。山号は倉科片雄山、院号は報恩院。本尊は阿弥陀如来

建長7年(1255年)、善巧により開山された。善巧は、浄勧と称する善光寺坊中報恩院の住僧であったが、親鸞参詣の折に入門し、改名した。

当初は信濃国埴科郡倉科村(現・長野県千曲市倉科)に位置していたが、高井郡牛出村(現・長野県中野市牛出)、水内郡深沢村(現・長野県飯山市蓮深沢)と転々とし、寛文12年(1672年)に現在地に移転した[1][2]

本堂は安永7年(1778年)の再建、鐘楼は寛文年間の建築だが、善光寺地震で倒壊し、再建された。長野県の県宝に指定されている「木造伝聖徳太子立像」は、師の親鸞から授かったものといわれており、武田信玄の身代わりにもなったという[1][2][3]

文化財

  • 木造伝聖徳太子立像(長野県指定県宝 昭和54年12月17日指定)[4]

交通アクセス

脚注

参考文献

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