西村ハツヱ
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にしむら ハツエ 西村 ハツヱ | |
|---|---|
| 生誕 |
1920年6月 |
| 死没 |
2005年4月14日(満84歳没) |
| 死因 | 敗血症 |
| 住居 | 東京都新宿区 |
| 国籍 |
|
| 民族 | アイヌ |
| 教育 | 釧路市立日進小学校 |
| 時代 | 昭和 - 平成 |
| 団体 | 関東ウタリ会、レラの会、ペウレ・ウタリの会、アイヌモシリの権利回復を求める会 |
| 活動拠点 | 東京都 |
| 後任者 | 松本きよみ |
| 子供 | 宇佐英雄(長男)、宇佐タミエ(長女)、松本きよみ(次女) |
| 家族 | 宇佐照代(孫、アイヌ文化伝承者) |
西村 ハツヱ(にしむら ハツエ、1920年〈大正9年〉6月[1] - 2005年〈平成17年〉4月14日[2])は、日本の首都圏のアイヌ団体である「関東ウタリ会」「レラの会」の初代会長。両団体の代表としてアイヌの復権運動に取り組むと共に、アイヌの伝統舞踊の公演などで、アイヌ文化の伝承に貢献した。長男は『釧路の夜』や『柳ヶ瀬ブルース』などで知られる作曲家の宇佐英雄[4]、長女は東京都内に存在したアイヌ料理店「レラ・チセ」の創業メンバーの1人である宇佐タミエ[5]、孫(宇佐タミエの三女[6])はアイヌ文化伝承者の宇佐照代[7]。