西村楠亭

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西村 楠亭(にしむら なんてい、宝暦5年(1755年)‐天保5年6月20日[1]1834年7月26日))は江戸時代後期の円山派絵師

円山応挙の門人。西村氏、名は予章、字は士(子)風、楠亭は号。京都商家で木綿縞織を商う嶋屋庄右衛門の子として生まれる[2]寛政から天保初年にかけて作画をしている。天明の大火後に起きた寛政度内裏造営に伴う障壁画では、応挙門下に混じり願書を提出するが採用はされなかった。肉筆風俗画をよくしている他、絵本の作がみられる。しかし、今日確認されている作品は、かなり少ない。文化10 年(1813年)頃成立の「畫師相撲見立」では、前頭筆頭に番付されている。天保5年、80歳で没す。墓所は西大谷ともされるが確認されていない。

作品

脚注

参考文献

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