西田孝之

From Wikipedia, the free encyclopedia

国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1940-08-02) 1940年8月2日(85歳)
身長
体重
173 cm
72 kg
西田 孝之
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 愛媛県南宇和郡愛南町
生年月日 (1940-08-02) 1940年8月2日(85歳)
身長
体重
173 cm
72 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1962年
初出場 1962年
最終出場 1972年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

西田 孝之(にしだ たかゆき、1940年8月2日 - )は、愛媛県出身の元プロ野球選手外野手)。

南宇和高では、1958年夏の甲子園県予選準々決勝に進むが、川之石高に敗退。

高校卒業後は、社会人野球伊予銀行に入団。1961年都市対抗野球予選では四国代表決定戦まで進むが、東邦レーヨン徳島に敗れたため本戦出場には至らなかった。チームとしての出場は叶わなかったが、西田個人は1960年に松山市代表チーム・丸善石油の補強選手として都市対抗野球に出場している。

1962年大毎オリオンズに入団。2年目の1963年には一軍に定着、中堅手として矢頭高雄石谷訓啓と併用される。1965年は開幕からチャンスメーカーとして活躍し、83試合に先発出場。しかし翌1966年は開幕から打撃不振が続き、5月初めに先発メンバーから外れる。7月には調子を戻し復帰するが、その後は池辺巌が台頭し激しい定位置争いを演じた。1967年には、規定打席に届かなかったが32盗塁を決め、パ・リーグ盗塁王を獲得している。西田の達成以降、パ・リーグでは規定打席未到達での盗塁王は2020年周東佑京まで現れなかった。1968年にはジョージ・アルトマンアルト・ロペスが入団し先発を外れるが、その後も外野の準レギュラーとして長く活躍した。1970年巨人との日本シリーズでは2試合に代走、守備固めとして出場。1972年限りで現役を引退。

引退後はサラリーマンを経て、日本ハムファイターズで一・二軍総括走塁コーチ(1982年)、一軍外野守備・走塁コーチ(1983年)、1992年には選手寮「勇翔寮」の寮長を務めた。

退任後は野球の普及に力を注ぎ、日本プロ野球OBクラブの専務理事を務めた。

詳細情報

脚注

関連項目

Related Articles

Wikiwand AI