西田宣善
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京都市生まれ。京都市立御室小学校、京都市立双ヶ丘中学校、京都府立嵯峨野高等学校を経て、1987年、明治大学文学部文学科(文芸学専攻)卒業。株式会社キネマ旬報社、株式会社ゼアリズなどを経て、独立。有限会社オムロ代表。父、西田智(にしだ さとる)は溝口健二組の俳優として「武蔵野夫人」「新・平家物語」などに出演している。母方の祖父は元長崎県知事の西岡竹次郎。伯父(母の兄)は元文部大臣、元参議院議長の西岡武夫。映画を志す前は、熱心な切手収集家であった。
日本映画製作者協会会員。日本映画プロフェッショナル大賞選考委員。日本アカデミー賞協会会員。東京フィルムセンター映画・俳優専門学校にて講師(プロデュース、配給宣伝、ライター基礎)を務めた。
2020年から22年にかけて、多摩美術大学芸術学科、日本大学芸術学部、母校である明治大学大学院にてゲスト講師を務めた。
略歴
- 1975年 御室郵趣会設立。「すたんぷ」創刊。1981年まで35号を発行。
- 1979年 京都府立嵯峨野高校入学。ワンダーフォーゲル部に所属。全国ジュニア切手展で「國寶」佳作入選。
- 1980年 はじめて8ミリのキャメラを手にする。全国ジュニア切手展で「鉄道の世界」銀賞を受賞。
- 1981年 8ミリでの初の監督作品『ホムルンクス』を共同監督・主演。全国ジュニア切手展で「鉄道の動力」銀銅賞を受賞。
- 1982年 高校を卒業。大学受験に失敗し、京都で浪人生活を送る。予備校は、大島渚監督が理事を務めていた京都学院。
- 1983年 明治大学文学部入学。駿台映画製作研究部に入部。
- 1984年 長編映画『piece of mind』を製作。PFF(ぴあフィルムフェスティバル)は落選し、文芸地下での上映作品はすべて見る。
- 1985年 初の長編『VIRIDIAN ROAD』を脚本・監督。脚本を作家の辻真先に評価される。PFFでは、最初の予選を通過するが、次の段階で落選し、入選は遠かった。PFFの映写技師をしていた山崎幹夫の『極星』の編中に、エンディングの音楽が引用される。
- 1986年 中編『中国好きな娘』を監督。PFF(ぴあフィルムフェスティバル)では、やはり落選するが、印象に残った作品として、小口詩子に言及される。
- 1987年 明治大学を卒業。油業報知新聞社で長期アルバイト。
- 1988年 株式会社キネマ旬報社にアルバイト入社。「日本映画テレビ監督全集」を編集。ぴあ株式会社(PFF事務局)でアルバイト。「環太平洋映画祭1989」パンフレットを編集。
- 1989年 株式会社ゼアリズ入社。映画・イベントの宣伝、ライターを担当する。最後に宣伝を担当したのがクリント・イーストウッド監督『ホワイトハンター ブラックハート』。
- 1990年 株式会社キネマ旬報社と契約。「映画ビデオイヤーブック1991」編集。
- 1991年 株式会社キネマ旬報社入社。「溝口健二集成」「映画ビデオイヤーブック1992」編集。「キネマ旬報」本誌にて、淀川長治、蓮實重彦による溝口健二に関する対談を企画、構成。
- 1992年 別冊•単行本担当からキネマ旬報本誌へ異動するが、直後に、株式会社キネマ旬報社を退社。退社後に、『紅の豚』『バットマン・リターンズ』巻頭特集の編集を担当。7月31日、有限会社オムロピクチャーズ設立。東京都千代田区神保町に事務所。初の16ミリ短編映画『ウィリアム・テロル, タイ・ブレイク』を製作(公開は1994年)。
- 1995年 映画『冬の河童』公開。ロッテルダム国際映画祭第1回タイガー・アワード受賞。この時、初の海外渡航。ロッテルダム、アムステルダム、パリを回る。キネマ旬報増刊で、「世界映画オールタイムベストテン」「日本映画オールタイムベストテン」「宮崎駿、高畑勲とスタジオジブリのアニメーションたち」の編集を担当、いずれも大きく売り上げる。
- 1996年 有限会社オムロピクチャーズ内に、函館山ロープウェイ映画祭東京事務局開設。第1回シナリオ大賞。
- 1997年 株式会社キネマ旬報社発行「フィルムメーカーズ」シリーズ創刊、①はリュック・ベッソン。佐相勉と共編著「映畫読本 溝口健二」刊行。第1回京都映画祭東京広報事務所。
- 1998年 「フィルムメーカーズ②北野武」(淀川長治責任編集)は4万部以上を売り上げる大ヒット。
- 1999年 第2回京都映画祭では、東京広報事務所の他、デザインワーク全般、カタログ編集も担当。
- 2001年 有限会社オムロピクチャーズ、有限会社オムロと改称。東京都新宿区矢来町に事務所移転。函館山ロープウェイ映画祭、函館港イルミナシオン映画祭と改称、東京事務局を続ける。キネマ旬報社での「フィルムメーカーズ」シリーズ終刊。
- 2002年 株式会社日本出版社発行の映画カルチャー雑誌「C +(シープラス)」創刊(2号まで)。川崎市市民ミュージアムにて開催の「夢幻彷徨 映画美術監督木村威夫の世界」企画協力。映画インタビュー雑誌「映画人」(辰巳出版)編集長(創刊号で終了)。
- 2003年 配給した映画『ラストシーン』中田秀夫監督が芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞。
- 2005年 太秦株式会社設立。エグゼクティブ・プロデューサーに就任(後に辞任)。
- 2006年 企画開発した『クローンは故郷をめざす』がサンダンスNHK映像作家賞を受賞。授賞式出席のため、中嶋莞爾監督とサンダンス映画祭を訪れる。同賞の審査委員長であったヴィム・ヴェンダースに、同作のエグゼクティブ・プロデューサーを依頼する。
- 2013年 企画編集を担当した「溝口健二著作集」発行。のち、イタリア語版の翻訳権を契約。
- 2014年 プロデュースした映画『リベンジポルノ』公開。ヒットして、シリーズ化され、3作目までプロデューサーを務める。
- 2015年 「キネマ旬報」本誌にて、蓮實重彦、青山真治による「溝口健二著作集」に関する対談を企画、司会、構成。
- 2016年 映画『無伴奏』公開。サハリン国際映画祭にて審査員特別賞受賞。映画『レミングスの夏』公開。函館港イルミナシオン映画祭第1回オーディエンスアワード(観客賞)受賞。
- 2017年 有限会社オムロ、京都市移転。拠点を京都市に移す。
- 2018年 株式会社宮帯出版社入社。企画編集を担当した「フィルムメーカーズ」復刊。復刊1巻目はスティーブン・スピルバーグ。
- 2019年 映画『嵐電』公開、京都では大ヒット、全国でも単館規模ではヒットする。高崎映画祭、TAMA映画賞にて最優秀作品賞を受賞。キネマ旬報ベスト・テン第9位。映画芸術ベストテン第4位。シネマヴェーラ渋谷でのキム・ギヨン特集のパンフレットを編集。
- 2020年 宮帯出版社退社。多摩美術大学芸術学科にて、ゲスト講師を勤める。
- 2021年 映画配信メディア「鳴滝」を立ち上げ、主宰に就任。日本大学芸術学部にて、ゲスト講師を勤める。ミヤオビピクチャーズにてプロデューサーを担当した映画『信虎』公開。特殊メイクの江川悦子が芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。マドリード国際映画祭最優秀監督賞、最優秀衣裳賞を受賞。シネマヴェーラ渋谷での勅使河原宏特集、新・文芸坐での熊井啓特集をそれぞれ企画。
- 2022年 配給作品『森のムラブリ』公開。国立映画アーカイブでの石田民三小特集を企画。長塚圭史演出によるミュージカル「夜の女たち」パンフレットにおいて、溝口健二と同監督によるオリジナル映画について執筆。明治大学大学院にて、ゲスト講師を勤める。
- 2023年 配給作品『東京組曲2020』公開。オムロ発行で「フィルムメーカーズ24 ホン・サンス」(責任編集筒井真理子)発売。
- 2024年 監督作品『また逢いましょう』撮影。配給協力作品『ひとつの空』公開。
- 2025年 『また逢いましょう』公開。「フィルムメーカーズ25高畑勲」発行。