西能源四郎
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越中国礪波郡広安村[1](のち富山県東礪波郡福野町を経て、現南砺市)で、先代・西能源四郎の長男として生まれる[3]。11歳で父が死去したため、母の実家で養育され、祖父・天富鼎太郎の薫陶を受けた[1][4]。その後、富山藩儒・岡田呉陽の家塾で漢文、詩文を修めた[1][4]。
自由民権運動に加わり、島田孝之らの越中改進党に参加した[1][4]。富山県会議員を3期務めた(明治19年9月〜同12年2月、同21年3月〜同25年6月、同29年8月〜同年10月)。[要出典]1905年5月15日投票の第10回衆議院議員総選挙に富山県郡部から出馬して当選し、衆議院議員を一期務め、この間、憲政本党、立憲国民党に所属した[1][2]。