西鉄バスジャック事件
2000年に福岡、山口、広島の3県に渡って発生したバスジャック事件
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事件の概要
2000年5月3日12時56分ごろ、佐賀第二合同庁舎(佐賀県佐賀市)発西鉄天神バスセンター(福岡県福岡市中央区)行きの西日本鉄道の高速バス「わかくす号」は、定刻通りに佐賀第二合同庁舎を出発した。西鉄天神バスセンターには14時6分に到着する予定であった。
発車後の13時35分ごろ、九州自動車道の太宰府IC付近、少年Aがバス運転手に牛刀を突きつけ「天神には行くな、このバスを乗っ取ります」「おまえたちの行き先は天神じゃない。地獄だ」と言いながらバスを乗っ取った[2]。
Aは西鉄天神バスセンターに行かずに九州自動車道をしばらく走行するように運転手を脅し、山口県の山陽自動車道に達するまでに乗客3人を切りつけた。山口県内に入り山口県警察高速道路交通警察隊がバスを追尾する中、小郡IC付近で乗客1名が走行中のバスから本線上に飛び降り、警察に救出される。さらに山陽自動車道下松SA付近では警察車両がバスの行く手を阻み、減速した車内から身を乗り出した乗客1人が警察に救出されたが、この封鎖では事件の解決に至らず、バスは広島県に入る。
武田山トンネル付近で男性客全員が解放された後、バスは奥屋PAに入り数時間停車した。ここで警察の説得によって負傷した人質3人が解放されたが、うち1人は既に失血死していた。日本のバスジャック事件において人質が死亡した初めての事件となった。
バスは次のサービスエリア・パーキングエリアである小谷SAまで向かい、ここでも長い膠着状態となった。Aの両親による説得が拒否される中、事件発生から15時間半後の4日午前5時すぎ、機動隊・機動捜査隊計15名がバス車内に突入。Aは銃砲刀剣類所持等取締法と人質による強要行為等の処罰に関する法律違反で逮捕された。突入の際に機動隊員1名が、Aに左足を切り付けられて負傷した。下松SA付近での乗客の救出やAの逮捕の模様はテレビで生中継にて報道された。
その後、Aは医療少年院へ送致された。2006年2月1日、Aが同年1月中に仮退院していたと報道された。Aは社会復帰への訓練を始めたとされる。
動機
Aは中学校でいじめに遭い、家庭内暴力を起こして家族を悩ませた。親は学校にいじめの相談をするが、学校や教育委員会はいじめの事実を認めなかった[3]。高校受験が目前に迫った1998年1月、Aはクラスメイトたちの挑発を受けて階段の踊り場から飛び降りるも、着地に失敗して腰椎損傷の重傷を負って入院[4]。病室で佐賀県立致遠館高等学校を受験して合格したが、入学後は校風が合わないという理由で9日だけ登校し、5月に中退してしまった。
無職となったAは大検を目指していたが[5]、親にパソコンをねだって「2ちゃんねる」に寝食を忘れるほど熱中し、家庭内暴力がますます悪化していく。飼い犬を叩き、父親に名古屋や大阪などへの日帰りドライブを頻繁に強要した[5]。周辺住民も、Aの妹の悲鳴を聞いている[5]。危険を感じた親が警察や精神科病院に相談するも、事件を起こさない限り対処できないと双方から断られてしまう。そこで親は最後の頼みの綱として、頻繁にテレビに出演し著書を出している精神科医の町沢静夫に連絡を取って相談。町沢は親にもAにも一切面会しなかったが、親からの要請を受けて2000年3月5日、佐賀県警察と国立肥前療養所に電話した。肥前療養所はすぐにAに対して医療保護入院の措置を取った。
入院が決定した際、Aは親に対して絶対に許さないと怒りを露にしたが、実際に入院すると医療スタッフや他の入院患者たちにも礼儀正しく、家庭内暴力で家族を悩ませていたとは思えないほどしっかりしていた。やがて、Aや親と医者との話し合いの上でAの外出許可が出された。病院に帰ってから、愛知県で高校生が老夫婦を殺傷した豊川市主婦殺人事件を知り、Aは手記でこの高校生を褒め称え、自分も早く彼のようになりたいと書いた。この手記の内容をまったく知らなかった精神科医は、Aの外泊許可を出した。帰宅したAは当初、自分がいじめを受けていた母校の中学校で無差別殺人を行う計画だったが(各教室で生徒を刺して籠城し、注目を浴びたら飛び降りて死ぬつもりだった[5])、ゴールデンウィークで休校だったため、バスジャックに目的を切り替え実行に至ることとなった。
町沢静夫への批判
事件後、町沢はマスコミや著書を通じてAや親を擁護する一方、肥前療養所を批判した。これを受けて、肥前療養所の記者会見では、院長がAに一度も面会せずにテレビや雑誌で肥前療養所に対する批判を述べていた町沢に対し、こうした態度は臨床医としてあるまじき行動であり、町沢医師に対し怒り心頭に達している旨を述べた。町沢の態度は後日、精神科関連の学会や家庭内暴力関連の団体から厳しく批判された。
事件の影響と対策など
この事件は、本件の犯人が1997年(平成9年)に発生した神戸連続児童殺傷事件の犯人と同学年でもあることもあり、1990年代以降の日本の少年犯罪凶悪化を象徴する事件であるとも言われた。本事件の犯人は神戸連続児童殺傷事件の犯人を崇拝し、自らも「酒鬼薔薇聖斗」と署名した犯行予告を各所に送っていた。
また、本事件の直前には愛知県豊川市で17歳の少年が面識のない主婦を殺害する豊川市主婦殺人事件が発生し、本事件の犯人は事件直前の手記で、豊川市の事件の犯人少年を賛美する記述をしている。
すばらしい!! しかも僕と同い年の17歳とか……? よい風潮だ。40ヵ所も刺した時の快感はどうだった!?
僕も今日実行する。なんか運命的なものを君とは感じるよ。年も一緒、学校では優等生……ハハハ — (佐野(2008), p. 74)
これらのことから、各事件の「犯人が17歳」という共通点により「キレる17歳」という言葉が流行語となり、「理由なき犯罪世代」とも呼ばれた。
またこの事件は、本件の約3か月前に発覚した新潟少女監禁事件とともに、引きこもり問題の社会的認知度を大きく上昇させた[8]。当時は引きこもりを行うような人物は犯罪者予備軍であるように扱われ、事件以前からこの問題に取り組んでいた精神科医の斎藤環は、後年「実情を知らずに印象だけで語る人たちとの戦いが、まず私の仕事でした」と語っている[8]。
Aは創設間もない2ちゃんねるにて「キャットキラー」「ネオむぎ茶」のハンドルネーム(コテハン)を用いて書き込みを行っており、先述の通り「ネオむぎ茶」のハンドルネームで犯行予告とみなされる投稿を行ったとされている。当時「2ちゃんねる」の運営を行っていた西村博之は雑誌の取材に対して「警察からIPアドレスの確認とか一切なかったんですよ。たぶん彼が『自分で書いた』と自白もしてないから、確証がない[9]」と語っており、Aが実際に投稿を行ったかについて警察は確認をしていないと述べている。
事件後、模倣したハンドルネームを用いて2ちゃんねるに犯行予告を書き込む事件が複数起きている。2008年7月16日に発生した愛知バスジャック事件では当時中学2年生の少年が逮捕され、犯行より前に母親から西鉄バスジャック事件について聞いていたと供述した。
日本バス協会では、この事件を機にバスジャックに対する統一対応マニュアルを作成し、各種の緊急連絡体制の整備を決め、バス車両にも各種のバスジャック対策装備品の装着が進められた。車内の異常事態を車外から察知できるようにするため、ハザードランプの高速点滅や車両後部に設けた非常灯の点灯、行先表示に「SOS」「緊急事態発生」などと表示できるようにした。また、バスジャック保険も整備された。
西鉄では独自の対策として、ヘリコプターでの追跡時に上空から車両を特定できるよう、屋根上に車両番号を表示するようにした[10]。その後、東急バス、京王バス、名鉄バス、大阪シティバスなど追随したバス事業者がある[注 1]。そのほか、一般路線バスでも車外への脱出が容易にできるよう、それまでの逆T字窓からT字窓へ仕様を変更した。
西鉄は、グループ会社の全高速バス395台(当時)に緊急通報装置を搭載し、独自の対応マニュアルを作成して毎年訓練を行ってきた。2014年7月に再度バスジャック事件が発生したが、運転手の通報装置作動により会社側は緊急態勢を取り、バス後部に表示された「SOS 110番へ」の文字を見た複数のドライバーから県警や西鉄に通報があり、事件解決の助けとなった[11]。
