視交叉
脳の視覚に関する構造
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構造

全ての脊椎動物において、左右の視神経は脳の腹側において正中で会合し、それが視交叉と呼ばれる[4]。
一部の左眼と右眼の視野が重なる種においては、視神経を構成する神経線維の一部が視交叉で交叉しない。このような視交叉の場合、交叉しない神経線維は同側の視索へ続く。このような部分的な交叉によって両眼で重なる視野の部分は統合され、立体視による奥行知覚が可能となる[5]。反対に全ての視神経を構成する神経線維が交叉するような種があるということであり[5]、実際に哺乳類以外のほとんどの脊椎動物においては左の神経線維は右へ、右の神経線維は左へ走行する単純な交叉である[6]。
部分的な交叉の場合、網膜の鼻側から伸びる神経線維(視野では耳側)が正中を越える。同じ鼻側の網膜からの線維でも下半分の方が視交叉の前側を通り、上半分の鼻側網膜からの神経線維が視交叉の後ろ側を通る[5]。視交叉における視神経の部分的な交叉によりヒトの場合、視覚野は各眼の左側または右側一方の視野のみの情報を受け取ることができるようになっている[注釈 1]。つまりは右の視覚野は左右の眼の左側の視野から、左の視覚野は左右の眼の右側の視野からの視覚情報を処理する[5]。
視交叉を経た線維は交叉した線維と交叉していない線維が混じり合うことになるが、この視神経の経路は視索と呼ばれる。この視索は中脳の視蓋(哺乳類においては上丘)に入力する。哺乳類では視床の外側膝状体にも入力し、それから大脳後頭葉の視覚野に情報を伝達する[7]。
栄養
視交叉は前大脳動脈や内頸動脈の下垂体漏斗から上行する枝などから栄養を受ける。後者は特に視交叉の正中部に栄養を供給する[8]。
哺乳類における発生
発生の過程において、視交叉は主にネトリン、Slit、セマフォリン、エフリンといった軸索誘導因子やソニック・ヘッジホッグ(Shh)、Wntといったモルフォゲンにより発達が促される[9]。このような誘導はリガンドとなる軸索誘導因子とその受容体を発現した成長円錐によりシグナル伝達が成り立っており、このシグナル伝達により下流の経路が活性化され、細胞骨格の変化などを伴う[10][11]。視神経を構成する網膜神経節細胞(RGC)の軸索は眼を出て視神経となるときに視神経の経路の境界に発現しているSLIT2やSEMA5Aにより発達中の経路から離れることが阻害される[12]。RGC軸索の並びは視神経のときは網膜に対応するような並び(レチノトピー)であるが、視交叉に近づくにつれてレチノトピーという性質が失われていくと考えられている[13]。
正中を交叉せずに同側に投射する線維の割合はその動物の両眼視の程度によって異なり、マウスでは3%しか同側に投射しないものの、ヒトでは45%が同側に投射する[12]。放射状グリア細胞により正中交叉部に発現するエフリンB2はEPHB1という受容体を発現する網膜から伸びる軸索に反発的なシグナルを及ぼし、対側へ投射させずに同側への投射を誘導する[12]。また、中枢神経系の正中形成に必要なShhも同側に行くべきRGC軸索が交叉を行わないように反発する役割を担っている[14]。視交叉で交叉するRGC軸索は正中に発現している血管内皮細胞増殖因子のVEGF-Aにより誘導され、RGC軸索に発現するニューロピリン1を受容体としてシグナル伝達が行われる[15]。交叉は正中に発現しているNRCAMという細胞接着分子やセマフォリン6D(Sema6D)により促進される。これらは交叉するRGC軸索上で複合体を形成し、Sema6Dをリガントとして受容体の働きをするNRCAM-プレキシンA1に相互作用することでシグナルを伝える[16]。
その他の動物
哺乳類
化石として知られるものから[17]現代の無顎類のような生物に至るまで[7]すべての脊椎動物に視交叉が存在すると考えられているが、どのように進化したかについては分かっていない[18]。脊椎動物の視交叉の機能については複数の仮説が提唱されている。axial twist theoryによると、視交叉は初期胚においてねじれが生じた結果であるとする[19]。
アルビノ遺伝子の特定の遺伝子型を持つシャム猫では神経線維の並びが乱れることでより多くの交叉が見られ、網膜線維の約95%が交叉することが報告されている[20]。シャム猫ではホワイトタイガー[注釈 2]と同様に斜視になりやすく、これは異常な量の交叉を補償するための行動であると考えられている[21][22]。
頭足類と昆虫
頭足類やショウジョウバエなどの昆虫においては視神経に相当する神経は正中では交叉しないため、眼で受け取った情報は同側の脳へ伝えられる[注釈 3][24][25]。
歴史
神経線維の交叉とそれが視覚に及ぼす影響について初めて言及したのはペルシアの医師Esmail Jorjani(1042年-1137年)であるといわれている[26]。