角谷静夫
日本の数学者
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来歴
業績
エピソード
1941年(昭和16年)8月14日、ポール・エルデシュ、アーサー・ストーンら3人と連れ立ってドライブしていたところ[6]、ニューヨーク州ロングアイランドの立ち入り禁止区域に侵入してしまった[1]。敵国人であった角谷はスパイ嫌疑を掛けられて拘束されるが[1]、プリンストン高等研究所の責任者が素性を説明したことで解放された[1]。この一件を受けて『デイリー・ニューズ』紙に「間諜3人組」の誤記事が掲載された[7]。
同年12月、日本とアメリカが開戦したとき、角谷は客員教授としてプリンストン高等研究所に在籍していた[1]。彼はそのままプリンストンに留まることもできたが、母親のことが心配だったので帰国することにした[1]。角谷は、アメリカの戦時交換船であるスウェーデンの客船で大西洋を横断し、喜望峰経由でモザンビークのロレンソ・マルケスから日本の交換船に乗り換えて帰国した。大西洋ではドイツの潜水艦による攻撃の恐れが常に存在した。角谷は毎日デッキに座って自分の数学の課題を考え、夜になるとその日に得た定理を紙に書きボトルメールとして海に投じた。瓶にはこれを発見した人はプリンストンに送ってくれるように手紙をつけてあった。しかし、2005年に至るまで、手紙は一つも届いていないと言う。[要出典]
著書
- 著作集
- Shizuo Kakutani: Selected Papers. Contemporary Mathematicians. Birkhaeuser. (January 1986). ISBN 9780817632793