警保局

日本に1947年まで存在した内務省の内部部局 From Wikipedia, the free encyclopedia

警保局(けいほきょく、英語: Home Ministry Police Affairs Bureau)は、日本1947年昭和22年)まで存在した内務省内部部局。全国の警察業務を所管した。現在の警察庁の源流に当たる。

概略

内務省の局は統廃合を繰り返してきたが、警保局は1872年明治5年)の司法省警保寮設置、翌年新設の内務省への移管から、敗戦後の1947年(昭和22年)にGHQによって内務省が解体・廃止されるまで、地方局と並んで省内で強大な権力を握っていた。

下部組織にも統廃合の歴史があるが、主に保安課、図書課が著名である。警保局は警察行政を主管し、保安課は特別高等警察の総元締めであった。

図書課もガリ版刷りの同人誌や学校の同窓会誌、村の青年会誌にいたるまで検閲して、反社会的活動や共産主義、反君主制思想などを取り締まった。また、図書課は、著作権登録の所管でもあり、著作権の国際条約であるベルヌ条約の改正に際しては、内務官僚水野錬太郎が会議(ベルリン会議)に出席していた。

1934年(昭和9年)には映画の検閲強化を目的として、局内に映画統制委員会が設置。さらに翌1935年(昭和10年)には、映画統制委員会の別働組織として大日本映画協会が設立された[1]

警保局長は内務次官警視総監と並んで「内務三役」と言われ、退官後は約半数が貴族院勅選議員となる省内の要職であった。大蔵省外務省などではこのようなことは滅多になかった。

太平洋戦争での日本の敗戦後、1947年(昭和22年)12月31日、内務省はGHQの指令により解体・廃止され、1948年(昭和23年)1月1日、内務省警保局は内事局第一局となる。

その後、旧警察法の制定により1948年(昭和23年)3月7日、内事局も廃止され、内事局第一局は国家地方警察本部となる。また、警察法全部改正(新警察法)により、1954年(昭和29年)7月1日、国家地方警察本部は警察庁となった。

歴代警保局長等

司法省警保頭(1872–1873年)

明治5年8月28日西暦1872年9月30日)、司法省に警保寮を設置。

  • 島本仲道:明治5年9月2日(1872年10月4日) - 1873年(明治6年)11月10日 (兼任:司法大丞兼大検事→司法省三等出仕兼大検事)
  • 河野敏鎌:1873年(明治6年)11月10日 - 12月5日 (兼任:司法大丞兼大検事)

内務省警保頭(1874–1876年)

1874年(明治7年)1月9日、警保寮を司法省から内務省に移管。

  • 警保権頭・村田氏寿:1874年(明治7年)1月29日 - 1875年(明治8年)11月27日 (兼任:内務大丞)
  • 警保頭・村田氏寿:1875年(明治8年)11月27日 - 1876年(明治9年)4月17日 (兼任:内務大丞)
    • 警保権頭・石井邦猷:同上期間 (兼任:内務権大丞)

内務省警保局長(1876–1877年)

1876年(明治9年)4月17日、警保寮を廃止し警保局を設置。

  • 村田氏寿が警保局長、石井邦猷が警保局補に任じられた。

警視局大警視(1877–1881年)

1877年(明治10年)1月11日、警保局を廃止し警視局を設置。

  • 川路利良:1877年(明治10年)1月19日 - 1879年(明治12年)10月13日 死去
  • 大山巌:1879年(明治12年)10月16日 - 1880年(明治13年)2月28日 (兼任:陸軍中将)
    • 中警視・石井邦猷:1880年(明治13年)2月28日 - 1881年(明治14年)1月14日
  • 樺山資紀:1880年(明治13年)10月23日 - 1881年(明治14年)1月14日 (兼任:陸軍大佐)

内務省警保局長

1881年(明治14年)1月14日、警視局を警保局に改称、警視庁を東京に再設置。

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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