讃岐典侍日記
From Wikipedia, the free encyclopedia
上巻は典侍として仕えた堀河天皇が発病した嘉承2年(1107年)6月20日から崩御した7月19日までの一月にわたる淡々とした看護の記録で、日毎に容体が悪化し死に直面することになった天皇の憂いと悲観、そして側にあってそれを肌で感じる作者の揺れ動く感情が赤裸々に描かれている[1]。
下巻は同年10月から翌天仁元年(1108年)の鳥羽天皇の大嘗会までの1年余りの記事を中核としつつ[2]、現在と過去が著しく錯綜する混沌とした構成となっており、白河院からの要請を容れてためらいつつも再出仕することになった年幼い鳥羽天皇のもとで、事あるごとに思い出される宮中での過ぎ去りし日々を振り返りながら、先帝を追慕する作者の情念が鮮やかに綴られている[1]。
上巻は堀河天皇の崩御後間もなくの成立、下巻は鳥羽天皇への出仕がひと段落ついた天仁2年(1109年)秋頃の成立と考えられている。また鎌倉時代後期に編纂された『本朝書籍目録』にこの日記は全3巻とあることから、下巻の前後いずれかに散逸した別巻が存在した可能性を示唆する説もある[1]。