讃岐国分寺
香川県高松市にある寺院、四国八十八箇所霊場の第八十番札所
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概要
歴史
国分寺は天平13年(741年)聖武天皇が発した国分寺建立の詔により全国六十八箇所に建立されたとされ、当寺もその頃の創建と推測される。寺伝では、行基が丈六の十一面千手観世音菩薩を本尊として開基したとされる(現存する本尊像は当時のものではないが、四国霊場の江戸期以前作の仏像で、丈六仏は善通寺の薬師如来坐像と当寺本尊のみで、しかも立像であるので四国霊場で最大の大きさである)。史実としての具体的な創建年は定かでない。
『続日本紀』には天平勝宝8歳(756年)に「讃岐国を含む26か国の国分寺に仏具等を下賜」[2]との記載があり、この頃に寺観が整っていたと考えられる[3]。
明徳2年(1391年)の文献には当寺が西大寺の末寺である旨が記されており[4]、その他の文献から鎌倉末期までには西大寺末となっていたと推測されており現存本堂の建造も西大寺系の僧が関わっていたものと考えられる[3]。
天正の兵火により本堂と本尊と鐘楼を残しほとんどが焼失した。
境内

- 山門(仁王門):創建時の中門を踏襲すると見られている[5]。
- 本堂:本尊開帳は60年に一度で次回は2040年。前立の千手観音・不動明王・大師像を拝観できる。創建時の講堂の礎石を利用して建てられている[6]。
- 大師堂(弘法大師礼拝殿万霊塔):大師像を拝観できる。
- 大日如来堂:安永7年(1778)大師堂として建立、以前は毘沙門堂であった。2011年から、大塚純司住職発案、彫刻家の大森暁生制作で、1497年まで東寺講堂の立体曼荼羅の本尊であった空海作の大日如来坐像を『東宝記』の記録を基に復元が完成し、2025年10月11日から一般公開が始まった。堂内での拝観は期間曜日限定有料[7]であるが、平日は堂外からの拝観可能無料[8]。
- 閻魔堂
- 千体地蔵堂
- 春日神社堂:村落から移された鎮守社。
- 良縁社(祠):愛染明王を祀る。
- 弁財天像、延命地蔵尊、水かけ地蔵などの石像が点在。
- 御衣木(みそぎ):福龍とも呼ばれ空海が本尊を修理した際の残木と伝わる。
- 福松:黒松の大木で中ほどに天然の黒松の葉のコブがある。
- 鐘楼:重要文化財の銅鐘は平安時代前期の鋳造と考えられる[9]。
- ミニ四国八十八箇所の石仏:近隣の里山にあったものを昭和初期に境内に移設したもの。
仁王門をくぐり八十八ケ所の石像が両脇にならぶ参道を進むと左に閻魔堂があり右に四国最古の釣鐘があり、さらに行くと礎石のならぶ間を行き小さな橋を渡ると正面に本堂が立つ。本堂を背に左手を進むと白い多宝塔があり、それが大師堂である。その右の門から遍路用品のならぶ店内に入るとそこが大師堂拝殿であり、納経所でもある。午後4時半以降は閉門により参拝不可。
- 宿坊:なし
- 入山料:200円
- 駐車場:大型2台、普通車7台、山門前に無料であり
- 仁王門
- 旧金堂跡と現本堂
- 本堂(重要文化財)
- 大師堂
- 大日如来堂
- 鐘楼
- 福松
讃岐国分寺跡
手前に金堂、奥に七重塔。
発掘調査で明らかとなった奈良時代の寺域は南北240メートル、東西220メートルで、現在の国分寺や東隣にある宝林寺を含んでいる[5]。伽藍は大官大寺式伽藍配置で、中門・金堂・講堂が南北一直線上に並び、中門と金堂を回廊で結んだ内側の区画の東側に塔が建てられていた[5]。
遺構の保存状況はよく、金堂、七重塔などの礎石が原位置に残っている。現国分寺の本堂は奈良時代の講堂跡に建ち、現本堂はこの礎石を再利用している。他に、回廊・僧房・鐘楼・掘立柱建物・築地塀の遺構が発掘で確認されているほか、中門・南大門があったと推定される。
旧伽藍跡は遺跡公園として整備され、奈良時代の伽藍が縮尺10分の1の石造模型で再現されているほか、築地塀の一部が実物大で復元されている。また、僧房跡は残存状況が良好であったため遺構を覆屋で覆い、建物の一部が復元されている。
- 現在の境内エリア
- 遺跡公園エリア
- 塔跡
- 僧房跡
- 僧房跡(覆屋内)
- 鐘楼跡
- 築地塀(復元)
- 軒瓦
東京国立博物館展示。
文化財
交通アクセス
資料館
周辺の関連遺跡

- 府中・山内瓦窯(やまのうちがよう)跡(府中・山内瓦窯跡) - 国分寺・国分尼寺の瓦の窯跡とされる。国の史跡。大正11日10月12日指定[19][20]。
- 讃岐国分尼寺跡 - 国分寺より約2 km北東にある国分尼寺の後継寺院と云える法華寺(法華寺)の境内に礎石が残っている。国の史跡。昭和3年2月7日指定[21][22]。
- 讃岐国府跡(讃岐国府跡) - 坂出市にある飛鳥時代から鎌倉時代の国府跡。
- 讃岐総社跡 - 後継神社は、総社神社(総社神社)。

- 國分八幡宮(國分八幡宮) - 表鬼門にあたる東北に当国分寺の鎮護のため並びに阿野七郷の産土神として天平勝宝年間の創祀という。万治年間(1658年 – 1661年)に炎上し大禿山(オオカムロ 標高176 m)の中腹である岩川山に現境内(標高66 m)の西に隣接する宮池(標高49 m)になっている所から遷座する。岩川八幡神社また国府八幡と以来よばれていたが昭和になって國分八幡宮と改称した。祭神は誉田別尊などを祀る。本殿の背後に磐座がある。

