谷崎精二
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東京市日本橋区蛎殻町(現・東京都中央区日本橋人形町)出身[3]。谷崎倉五郎の二男[1][3][4]。生家は母方の祖父が事業に成功したため、当初は裕福だったが、父が事業に失敗し、次第に零落、兄潤一郎は家庭教師をして糊口を凌いだが、精二は阪本尋常小学校高等科を経て工手学校(現在の工学院大学)に通った。卒業後は通信技手をしていたが、しかし兄の影響もあって文学を志し、国民英学会、正則予備校に通い、1909年、早稲田大学高等予科英文科入学、同期に広津和郎があり、坪内逍遥、相馬御風、島村抱月らの指導を受けた。
1912年(大正元年)、広津、相馬泰三、葛西善蔵らが同人誌『奇蹟』を創刊し、少し遅れて参加、創作を発表。
1913年、早稲田大学英文科を卒業[3][4]。萬朝報編輯局勤務[3]。創作に従事[4]。「早稲田文学」を中心に、私小説風の作風や恋愛を題材とする小説を発表し続ける。また英文学者として、英文学のみならずロシア文学も英訳から重訳していた。片上天絃に推薦され早大講師となる[3]。1921年、助教授、のち教授となる[3][4]。早稲田文学主幹を兼ねる[1]。昭和初年、創作家としてあまり評価されないことから、創作を半ば断念する。
1941年(昭和16年)『ポオ小説全集』全6巻を刊行。早稲田大学文学部には片上派と吉江喬松派の対立があり、谷崎は吉江派の西條八十、会津八一らを追い落とし、1946年、文学部長になったとされる(筒井清忠『西條八十』)。1951年、文学博士号を授与される。
エピソード
家族・親族
著作
- 『ゲエテ物語』(実業之日本社) 1914
- 『離合』(阿蘭陀書房) 1917
- 『生と死の愛』(新潮社) 1917
- 『蒼き夜と空』(春陽堂) 1917
- 『ドストヱーフスキー評伝』(春陽堂) 1919
- 『結婚期』(新潮社) 1919
- 『地に頬つけて』(天佑社) 1919
- 『静かなる世界』(聚英閣) 1920
- 『別宴』(アルス) 1920
- 『水のほとり』(隆文館) 1921
- 『恋愛模索者』(新潮社) 1921
- 『明暗の街』(新潮社) 1922
- 『ある姉妹』(アルス) 1922
- 『歓楽の門』(新潮社) 1924
- 『美しき人』(高陽社) 1924
- 『大空の下』(ヱルノス) 1925
- 『火を恋ふ』(新潮社) 1926
- 『現代長篇小説全集 第22』(小山内薫・谷崎精二篇、新潮社) 1929
- 『街の旋風』(楽園書房) 1934
- 『文学の諸問題』(日月書院) 1938
- 『都市風景』(砂子屋書房) 1939
- 『失はれた愛』(牧野書店) 1941
- 『青春岐路』(南方書院) 1941
- 『展け行く路』(南方書院) 1943
- 『レオナルド・ダ・ヴィンチ』(南方書院) 1942
- 『火を恋う』(新星社) 1946
- 『小説の鑑賞と作法』(新星社) 1947
- 『悲しき愛情』(東方社) 1947
- 『さらば故郷』(東方社) 1948
- 『世界名作大観 英米篇』(労働文化社) 1948
- 『英文学作家論』(文治書院) 1948
- 『小説形態の研究』(大日本雄弁会講談社) 1951
- 『都会の情熱』(東方社) 1955
- 『放浪の作家 葛西善蔵評伝』(現代社) 1955
- 『教壇生活三十年』(東方社) 1955
- 『小説の形態』(三省堂) 1957
- 『谷崎精二選集』(校倉書房) 1960
- 『エドガア・ポオ』(研究社出版) 1967
- 『明治の日本橋・潤一郎の手紙』(新樹社) 1967
- 『葛西善蔵と広津和郎』(春秋社) 1972