谷次亨

中華民国、満州国の政治家 (1898-1977) From Wikipedia, the free encyclopedia

谷 次亨(こく じきょう)は、中華民国満州国の政治家。満州国で民生部大臣、交通部大臣などの要職をつとめた。名は嘉年だが、次亨で知られる。

概要 谷次亨, プロフィール ...
谷次亨
『満洲国現勢 康徳六年版』
プロフィール
出生: 1898年2月9日
死去: 1977年1月8日
中華人民共和国吉林省長春市
出身地: 清の旗 盛京将軍管轄区奉天府復州
職業: 政治家
各種表記
繁体字 谷次亨
簡体字 谷次亨
拼音 Gǔ Cìhēng
ラテン字 Ku Tz'u-heng
和名表記: こく じきょう
発音転記: グー ツーホン
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事績

日本へ留学し、1923年民国12年/大正12年)3月に東京高等師範学校文科第一部乙班を卒業した[1]。帰国後は満鉄の嘱託となり、さらに奉天省塩運総局長、本渓湖煤鉄公司秘書などを歴任した。

満州国建国後は、国務院人事処調査科長、文教部嘱託、民政部警務司外事兼保安科長、安東省教育庁庁長を歴任している。1937年康徳4年)、満州国の機構改革とともに、総務庁次長に抜擢された。1940年(康徳7年、昭和15年)10月、大阪で開催された興亜厚生大会に満洲帝国代表として出席。1941年(康徳8年)1月[2]、要人の大規模な世代交代に伴い、民生部大臣となる。1942年(康徳9年)9月、交通部大臣に異動した。谷次亨は日本語に精通しており、また、関東軍からの信任も厚かった。谷は関東軍の司令部をしばしば訪問し、中国人の思想動向を報告していたとされる。

満州国が滅亡すると、谷次亨はソ連軍に逮捕され、シベリアに連行・収監された。1950年8月、中華人民共和国に引き渡され撫順戦犯管理所に収監される。後に特赦を受け、長春市図書館で勤務した。

1977年、長春で病没。享年80。

参考文献

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