豊田喜一郎
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豊田佐吉と佐原たみ(佐吉の妹の友人で最初の妻)の長男として生まれる。1892年(明治25年)から夫婦は東京市浅草外(当時の浅草区千束町)に住んでおり、里帰り出産のため静岡県敷知郡吉津村山口(現在の湖西市山口)で生まれるが、出生3か月のとき、貧困の中家庭を顧みることなく発明に没頭する夫に愛想を尽かした母親が家出したため祖父母の家で育つ[2][3]。3歳で父・佐吉の住む愛知県名古屋市(現・同市東区)に転居し、東区武平町や西区島崎町、栄生町の工場内に住む。のち名古屋市白壁町の家に住む[2][4][注釈 1]。高岳尋常小学校(現名古屋市立東桜小学校)[1]、愛知県師範学校附属小学校(現愛知教育大学附属名古屋小学校)[1]、旧制明倫中学校(現愛知県立明和高等学校)、第二高等学校(現東北大学)甲組工科を経て、1920年東京帝国大学工学部機械工学科卒業[2]。
卒業後、父・佐吉の意向で、経営者になるため9月から東京帝国大学法学部で1921年3月まで学んだ。その後地元の名古屋に戻った喜一郎は、豊田紡織に入社。1921年7月から1922年2月まで豊田利三郎夫妻とともにサンフランシスコ、ロンドン、オールダムなどを視察しマルセイユから上海経由で帰国した。父には発明より経営に重点を置くように指示されていたが、碧海郡刈谷町に試験工場を作り、自動織機の開発を開始。1926年に豊田自動織機製作所を設立し、常務取締役に就任。1929年から1930年4月まで欧米に出張し、当時、黎明期にあった自動車産業が将来大きく発展すると考え[2]、1933年9月1日に豊田自動織機製作所内に自動車製作部門(のちに自動車部)を新設。1936年に自動車製造事業法の許可会社に指定されたことから、これが1937年にトヨタ自動車工業株式会社として独立し、同年同社の副社長に就任。1941年には社長に就任した[2]。1936年から事業のため一家で東京市本郷区曙町(現本駒込)の借家に転居[2]。1938年、工場のために田畑を移すのを避けたいという思いから、愛知県西加茂郡挙母町(現・豊田市)の荒地だった58万坪の土地を取得し、自動車工場を建設した。同年赤坂に家を買い転居したが、1945年5月に空襲により焼失。名古屋市八事の別荘「南山農園」で終戦の日を迎える。終戦後は食料確保のため庭でドジョウの養殖や、ウズラの飼育を行った。別荘はその後1997年まで豊田章一郎一家が住んだのち、トヨタ鞍ヶ池記念館に移築された[5][6]。
1949年のドッジ・ラインの影響で不況に陥った中、トヨタ自動車の債務も増大し、早期優遇退職を行う経営側と全日本自動車産業労働組合トヨタコロモ分会の対立が激化。事態の責任をとるため、1950年6月に社長を退任し、東京に研究所を設立し、エンジンの研究などを行った。
1952年には再び社長に就任することが内定するが3月27日、脳溢血のため死去。墓所は覚王山日泰寺。 その後、喜一郎の死から2年と半年以上が経つ1955年1月1日、彼が生前に関わっていた国産乗用車、トヨペット・クラウンが発売された [7]。 (また、同じく1952年3月には東洋工業(現マツダ)の創業者である松田重次郎も9 日に死去している。)

愛知県豊田市(挙母市)の発展に大きく貢献した実績から、豊田市役所の広場には銅像が立てられている。死去から49年後の2001年3月、豊田市の名誉市民となった。
2001年に創設された、日本自動車殿堂の殿堂者に選出され[8]、2018年には、アメリカ合衆国の自動車殿堂入りを果たした[9]。
没後70年となる2022年3月、愛知名誉県民の称号を授与された。
親族
- 父は、豊田自動織機創業者の豊田佐吉。
- 妻は飯田新七(元髙島屋社長)の娘の豊田二十子。
- 長男はトヨタ自動車名誉会長(第6代社長)の豊田章一郎。
- 二男は相談役(第7代社長)の豊田達郎。
- 長女は西田嚇(全トヨタ労働組合連合会会長、西田太郎(元日本勧業銀行(現みずほ銀行)総裁の息子)の妻の西田百合子。
- 二女は斉藤滋与史(元静岡県知事、元建設相、大昭和製紙創業者一族、齊藤了英(元大昭和製紙会長)実弟)の妻の斎藤和可子。
- 従弟は最高顧問(第5代社長)の豊田英二。
- 従妹はINAX第5代社長の伊奈輝三の妻節子。
- トヨタ自動車工業先代の豊田利三郎は義弟(異母妹の夫)。
- 現トヨタ自動車会長の豊田章男は孫(章一郎の長男)。
栄典
系譜
- 豊田家
| 伊奈初之丞 | 伊奈長三郎 | 伊奈輝三 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 豊田佐助 | 節子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 高橋半助 | 寿子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 豊田幹司郎 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 豊田英二 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 豊田鐵郎 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 今井真三 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 豊田周平 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 豊田平吉 | 百子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| なを | 後藤正 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 静子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 豊田芳年 | 豊田晋 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 今井善衛 | 今井善一 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 山下亀三郎 | 山下太郎 | 節子 | 真理 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 栄 | 恒子 | 愉倫子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 北村七郎 | 北村初雄 | 河本敏夫 | 河本三郎 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 壽 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 豊田伊吉 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 児玉桂三 | 豊田幸吉郎 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| ゑい | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 児玉貞次郎 | 児玉一造 | 豊田大吉郎 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 豊田利三郎 | 豊田信吉郎 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 浅子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 愛子 | 豊田禎吉郎 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 豊田佐吉 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 清水満昭 | 紋子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 清水康雄 | 豊田大輝 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 絢子 | 豊田達也 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 豊田喜一郎 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 豊田達郎 | 由美子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 斉藤了英 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| たみ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 斉藤滋与史 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 二十子 | 古川康中 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 飯田新七 | 和可子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 飯田新太郎 | 啓子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 西田赫 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 紀子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 百合子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 藤本進 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 豊田章一郎 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 三井高寛 | 三井高長 | 厚子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 博子 | 真由 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 興子 | 豊田章男 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 三井高棟 | 豊田大輔 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 三井高公 | 田淵守 | 裕子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 田淵実 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
関連作品
書籍
- 豊田喜一郎伝(和田一夫 由井常彦 トヨタ自動車歴史文化部 名古屋大学出版会)
- 「G型無停止杼換式豊田自動織機は、実は豊田佐吉ではなく豊田喜一郎が開発を手掛けていた」など、これまでの“通説”を覆す記載がある。ISBN 4815804303
- 豊田喜一郎文書集成(和田一夫編 名古屋大学出版会、1999年)
- 豊田喜一郎が発表した文書やインタビュー記事。ISBN 4815803587
- 夜明けへの挑戦~豊田喜一郎伝(木本正次 学陽書房・人物文庫)
- 毎日新聞社が刊行した当時の題名は『反逆の走路~小説 豊田喜一郎』(改題)。 ISBN 4313751602
- 劇画トヨタ喜一郎(影丸譲也 木本正次 産業技術記念館)
- その時歴史が動いた コミック版 誕生・創業編(ホーム社)
- 『走れ!AA型 国産自動車誕生物語』作画 萩原玲二