貞照院

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所在地 愛知県碧南市霞浦町2丁目73
位置 北緯34度52分58.1秒 東経137度00分6.8秒 / 北緯34.882806度 東経137.001889度 / 34.882806; 137.001889座標: 北緯34度52分58.1秒 東経137度00分6.8秒 / 北緯34.882806度 東経137.001889度 / 34.882806; 137.001889
山号 金臺山
宗旨 浄土宗
貞照院
所在地 愛知県碧南市霞浦町2丁目73
位置 北緯34度52分58.1秒 東経137度00分6.8秒 / 北緯34.882806度 東経137.001889度 / 34.882806; 137.001889座標: 北緯34度52分58.1秒 東経137度00分6.8秒 / 北緯34.882806度 東経137.001889度 / 34.882806; 137.001889
山号 金臺山
宗旨 浄土宗
宗派 鎮西派
本尊 阿弥陀如来
創建年 元禄4年(1691年)
開基 三宅又兵衛
札所等 法然上人三河二十五ヶ所霊場
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貞照院(ていしょういん)は、愛知県碧南市霞浦町2丁目73にある浄土宗鎮西派の寺院[1]。山号は金臺山[1]。本尊の木造阿弥陀如来坐像、経蔵、鉄眼版一切経が碧南市指定文化財。法然上人三河二十五ヶ所霊場第15番札所。

創建

元禄4年(1691年)、伏見屋新田の開拓者である2代目三宅又兵衛によって創建された[2]。なお、初代三宅又兵衛は山城国伏見出身であり、江戸で財を成して徳川幕府御用達の商人となった[3]。寛文6年(1666年)には2代目三宅又兵衛が碧海郡で新田開発の許可を受け、油ヶ淵から矢作川河口にかけての地域に伏見屋新田を築いた[3]。また、実際に開創に尽力したのは2代目三宅又兵衛の手代を務めた小沢与左衛門である[4]。2代目三宅又兵衛の娘は仏門に入って生蓮と称し、享保年間には貞照院の末寺として生蓮庵を築いた[2]。貞照院には三宅又兵衛の墓と肖像画があり、貞照院に近い稲荷神社には三宅又兵衛の功績を刻んだ石碑や三宅社がある[3]

近世

1718(享保3年(1718年)、役人を盗賊と間違えて暴動に発展する貞照院事件(孫市事件)が起こった[1]。この結果として住職の宋心法師、代官の子である加藤友右衛門が伊豆大島流罪となった[1]。友右衛門の妻加藤菊女は大浜熊野大神社に百度参りを行い、写経に手紙を添えた文箱を浜から流し続けた[5]。江戸幕府は菊女の貞節を称え、流罪の8年後には罪を許して大浜に帰した[5]。この逸話は「菊女の手紙」として知られ、修身の教科書にも掲載されたことがあるという[5]

現代

1975年(昭和50年)10月15日、本尊の木造阿弥陀如来坐像が碧南市指定文化財に指定された[6]。1984年(昭和59年)4月3日、経蔵と鉄眼版一切経が碧南市指定文化財に指定された[6]

毎年夏には鉄眼版一切経の虫干し法要を行っており、碧南市における夏の風物詩とされる[7]。2025年(令和7年)、碧南市指定文化財である鉄眼版一切経の一部が盗難被害に遭った[7]

境内

山門
  • 本堂 - 宝形造。
  • 経蔵 - 宝形造。
  • 書院
  • 茶室
  • 地蔵堂
  • 山門 - 吉良氏代官所から移築されたもの。
  • 鐘楼 - 袴腰。
  • 墓地

文化財

木造阿弥陀如来坐像

碧南市指定文化財

  • 木造阿弥陀如来坐像(彫刻)
    • 頭部は平安時代末期、体部は江戸時代中期の作[4]。享保年間、4世の直入和尚が京都の法然院から奉戴したと伝わる[4]。1975年(昭和50年)10月15日指定[6]
    • 像高は145.5cm[6]。木造、寄木造、彫眼、漆箔[4]説法印を結ぶ半丈六の坐像である[4]
  • 経蔵(建造物)
    • 天明5年(1785年)頃竣工[8]。1984年(昭和59年)4月3日指定[9]
    • 宝形造、桟瓦葺[8]。正面6.09m、側面6.42m[8]。鉄眼版一切経を収める蔵であり、内部に輪蔵を有する[9]
  • 鉄眼版一切経(歴史資料)
    • 江戸時代[10]。1984年(昭和59年)4月3日指定[10]
    • 黄檗宗の僧である鉄眼が著した流布版の大蔵経[10]。貞照院を含めた全国の405蔵に納入された[11]。正徳2年(1712年)には750巻を帙に仕替え、さらに6180巻が245帙で納入されたことが記録に残る[11]。280帙2241冊が現存[10]

現地情報

脚注

外部リンク

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