賀蘭山 (中国)
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賀蘭山(がらんざん)とは、中華人民共和国寧夏回族自治区と内モンゴル自治区の境界に位置し、銀川平原とアラシャン高原の間に広がる山脈。山脈は南北に延び、全長約270キロメートル。主峰オボーゴダの標高は3556メートルである。賀蘭山は中国西北地区の地理的境界線であり、西北はアラシャー高原とトングリ砂漠、東は銀川平原とオルドス高原に接する。モンゴル語名はアラシャー山(モンゴル語: ᠠᠯᠠᠱᠠ
ᠠᠭᠤᠯᠠ、ラテン文字転写: Alaša aγula、キリル文字転写: Алшаа уул)。元々はテュルク諸語で「駁馬(まだら色の馬)」を意味する単語hala atが漢語やモンゴル語に採り入れられ、定着した地名であると考えられている[1]。
明代には「賀蘭晴雪」が寧夏八景の筆頭に数えられ、明代の詩人の陳徳武や、清代の胡秉正が詠んだ詠が残っている。また、賀蘭山には西夏王陵・賀蘭山岩画・滾鐘口・拝寺口双塔・三関口古長城などの名勝古跡が残されている。
賀蘭山の語源については唐の李吉甫による『元和郡県図志』に「賀蘭山は…樹木が青白く繁り、遠くより望むと駁馬のように見えるため、北人が駁馬と呼んで賀蘭となった」とあり[2]、既に唐代から北方遊牧民の言語に由来するものと認識されていた[3][4]。しかし『元和郡県図志』の解釈には諸説あり、「まだら色(alaγ)」に力点を置く説、「馬」に力点を置いて「野生馬(qulan)」に由来すると解釈する説、などがある[5]。近年では宝音徳力根・包文勝が上記諸説を批判し、あくまで語源は「駁馬(まだら色の馬)」に由来すると解釈すべきこと、ポール・ペリオが提唱した「『駁馬』と称する遊牧集団がこの地方にいたこと」が語源であるとする説を支持した[6]。
「駁馬と称する遊牧集団」については既に漢代から存在し、『後漢書』巻12盧芳伝には建武21年(45年)に「駁馬少伯」なる胡人(匈奴人)が後漢に降ったとの記録がある[7]。駁馬少伯は前漢の時代に分裂した匈奴の一派で、賀蘭山に定着した休屠部の末裔と見られ、賀蘭山に「駁馬」を名乗る集団が定着した最初の事例となる[8]。『晋書』巻98匈奴列伝には太康年間(280年-289年)の「匈奴九部」として「賀頼種」の名が挙げられ、同じ集団が『魏書』序記では鮮卑の「内人」の「賀頼氏」として言及されている[9]。「賀頼」集団は五胡十六国時代を通じて有力な遊牧集団として活動し、最後には隣接する北魏によって征服されたが、この頃には「賀蘭山」の名称が定着していたようである。
モンゴル帝国の時代に入ると、『元朝秘史』第265節で「賀蘭山」をalašaiと表現されるように、モンゴル語による「アラシャ(イ)山」の表現が定着する[3]。
地理
賀蘭山は南北方向に延び、全長200キロ以上に及び、東西の幅は20~60キロである。1億年以上前の燕山構造期に形成され、ヒマラヤ構造期にさらに隆起した。山稜の標高は2000~3000メートルが多く、主峰オボーゴダは3556メートルである。
賀蘭山は南部の牛首山褶曲断層帯、清水河―六盤山褶曲断層帯、羅山―雲霧山隆起帯と一連の背斜断層を構成している。地形的には、賀蘭山の西側は緩やかだが、東側は急峻で険しく、地表に露出した断層が多く見られる。東側は銀川平原と垂直に2000メートルの落差がある。賀蘭山北部は花崗岩が主体で、ウランブハ砂漠に近いため乾燥し降雨量が少なく、物理的風化が激しい。賀蘭山の本体は山の中央部に位置し、山勢は険しく、 山体は巨大で標高が高く、一般に2000~3000メートルに分布する。主峰オボーゴダは賀蘭山中部に位置し、標高3555メートルである。賀蘭山中部の東西幅は最大50キロメートルに達する。賀蘭山南部は比較的緩やかな山勢を示す。汝其溝・大水溝・小水溝・賀蘭溝・挿旗溝・蘇峪口溝・三関口溝など50以上の谷が存在する。谷はV字型をなし、下部は比較的広く、谷底には礫が広く分布し、谷口は一般に砕石が広く分布する洪積扇である。
気候
生態
賀蘭山は草原地帯と砂漠の境界線に位置し、植生の垂直分布が非常に顕著で、極めて複雑である。賀蘭山の植物群落には11の植生型と55の群系が存在する。草原・砂漠・針葉樹林・疎林草原のほか、様々な低木林・草地、少量の落葉広葉樹林が分布する。
山地草原は典型草原と砂漠草原の二亜類に分類される。疎林草原は賀蘭山の低山半乾燥地帯、標高1600~2000メートルの広範な範囲に分布し、山地草原帯と山地針葉樹林帯の間に位置して、完全な山地疎林草原帯を形成している。賀蘭山低山地帯は乾燥し蒸発量が大きく、中山地帯と亜高山帯は気温が低すぎることに加え、水熱条件が不適などの要因により、賀蘭山地域の落葉広葉樹林面積は極めて小さく、分布も散在している。
賀蘭山地域の植生垂直帯は極めて明瞭で、主に4つの植生垂直帯に分かれる。標高1600メートル以下の山麓砂漠と砂漠草原帯、1600~1900メートルでは被覆度が高く 草本植物が比較的よく生育する山麓と低山草原帯、1900~3100メートルには青海雲杉を主体とする中山と亜高山針葉樹林帯が広く分布する。このうち標高2400~3100メートルの陰斜面に分布する青海雲杉単一林帯は閉塞度が高く、更新が良好で、賀蘭山地域で最も重要な林帯である。3100メートル以上は主に高山・亜高山低木林草地帯で、優れた夏季牧草地となっている。
賀蘭山地域では陽斜面と陰斜面で植生分布が大きく異なる。低山帯では陽斜面は主に草原植物群落、陰斜面は低木林が優勢である。砂漠に近接しているため、賀蘭山南段と北段は荒漠化が進み、森林面積は極めて小さい。賀蘭山の東斜面は急峻で保水能力が低く、比較的緩やかな西斜面に比べ森林被覆率が低く、植生も単一である。
賀蘭山地域の植物群落は多様性に富み、森林タイプは主に青海雲杉林・油松林・杜松林・山楊林・灰楡林などである。保護区には野生維管束植物80科324属690種が生息し、うち野大豆・四合木・砂冬青・モンゴル扁桃・賀蘭山丁香は国家及び自治区重点保護植物である。賀蘭山地域の野生動物は種類が豊富で、180種以上が生息する。野生動物は177種、20目44科に分類され、そのうちイヌワシなどは国家一級保護動物、バーラルなど国家二級保護動物は13種存在する。
資源
山間部には石嘴山など10カ所の大型鉱区があり、良質な石炭が豊富に埋蔵されている。その他にリン灰石・石英砂岩・粘土岩・石灰岩などの鉱物資源があり、中でも小滾鐘口で産出される粘板岩は質感が柔らかく、これを彫刻した賀蘭石硯は寧夏五宝の一つに数えられる。
賀蘭山炭層自然発火
賀蘭山の石炭資源は非常に豊富であるが、同時に日照が十分で地層温度が非常に高いため、炭層自然発火現象を引き起こしている。賀蘭山の炭層自然発火は清朝から現在まで300年以上続いている。1950年代、中国は賀蘭山に大小の炭鉱を開設し、汝箕溝炭鉱は中国太西炭生産基地となった。20世紀末までに、採掘により坑内採掘条件が全面的に悪化し、人為的な大規模採炭が石炭層の露出を加速させ、石炭層の自然発火を促進した。火災区域では年間約115万トンの太西炭が焼損し、累計焼失量は3億4000万トンに達する。年間直接経済損失は約10億元(人民元)に上る[10]。