赤坂台古墳群
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赤坂台古墳群の所在する甲斐市竜王・竜王新町・竜地は甲府盆地北西部に位置する。「赤坂台地」は茅ヶ岳山麓の登美台地南部一帯の通称で、ローム層の赤土であることに由来する。赤坂台地一帯では旧石器時代から縄文・弥生時代の集落遺跡は見られないが、古墳時代に至ると古墳群の築造が開始される。台地南部は釜無川の氾濫原である平坦地で古来から水害の常襲地で、中世には信玄堤が築造される。この地域では数基の古墳が確認される。
古代の律令制下では巨摩郡に含まれ、渡来人が多く集住した地域としても知られる。中世・近世には南北に甲州街道が通過する。
甲斐国では盆地南部の曽根丘陵に4世紀中頃から古墳の築造が開始され、6世紀中頃には古墳の築造は盆地各地に拡散し、横穴式石室を伴う群集墳が多く築造された。盆地西部では荒川左岸の加牟那塚古墳を中心とする千塚・山宮古墳群の存在が知られる。赤坂台地古墳群は古墳時代後期の6世紀末期から7世紀代の古墳が分布しており、盆地北西部の勢力が造墓地として赤坂台地へ進出したと見られている[1]。
古墳時代の日本列島へは馬がもたらされ、6世紀後半代には装飾性のある馬具が権威の象徴として古墳の副葬品となる。赤坂台古墳群では竜王ニツ塚墳から金銅製の薄板で作られた杏葉・飾金具を持つ毛彫馬具が出土している点も注目される。7世紀後半代の馬具は東山道を中心とした陸路に分布し、斉明天皇の頃に行われた蝦夷政策に関連して下賜された遺物で、赤坂台古墳の被葬者は東北経営に功績のあった人物である可能性も指摘されている[2]。
また、甲斐市天狗沢の天狗沢瓦窯跡からは滋賀県大津市の衣川廃寺にルーツをもつ軒丸瓦が出土しており、類例は飛騨・信濃など東山道のルートに見られる。天狗沢瓦窯跡出土の軒丸瓦の供給寺院は不明であるが、赤坂台古墳群を築造した盆地東北部勢力は東山道ルートで先進文物を受容し、古代には巨摩郡立評にも携わっていた可能性が考えられている[2]。
赤坂台古墳群の支群
赤坂台古墳群は赤坂台地の南東斜面に分布する。
赤坂台古墳群の標高は290-350メートル付近に分布する。分布する地域的かたまりから字名を冠してニツ塚支群、狐塚支群、西山支群、両目塚・形部塚支群を形成している。