赤犬子
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概要
伝承
出自と名の由来
沖縄県立博物館・美術館の民話資料によれば、赤犬子の母は幼少時に婚約した若者を他の男たちの企みによって失い、失意の中で飼っていた赤犬を連れて歩いていたという[2]。旱魃の年、その赤犬が楚辺暗川の水源を発見したことで村は救われたとされる[2]。その後、母が産んだ子に対し村人たちが「赤犬の子」と噂したことから、赤犬子と呼ばれるようになったと伝えられている[2]。
読谷村史編集室でも、楚辺暗川の発見や赤犬子の名の由来に関する伝承が紹介されている[1]。
三線創始伝承
赤犬子は、歌と三線の始祖として伝えられている[1]。沖縄県立博物館・美術館の民話資料では、成長した赤犬子が屋根から落ちる雨だれの音を聞いて三味線を作ったという伝承が記録されている[2]。
各地巡歴と昇天伝説
赤犬子は三線を弾きながら各地を巡った人物として語られている[2]。国頭方面からの帰路、瀬良垣では食事を断られたため「瀬良垣水船」、谷茶では食事を分け与えられたため「谷茶速船」と名付けたという伝承が残されている[2]。
また北谷では、後に北谷長老となる子どもの将来を予見した話も伝わる[2]。さらに、瀬良垣の人々に追われた赤犬子は、現在の赤犬子宮とされる場所で煙となって天に昇ったとされ、神の子あるいは精霊であったと語られている[2]。
伝承の異同
赤犬子伝説には複数の異伝が存在する。種川幸は、読谷村楚辺の伝承のほか、津堅島、伊計島、久高島、宮古島などに類似した伝承が存在することを整理している[5]。これらの伝承では、誕生地や昇天の場所、五穀との関わりなどに違いが見られる[5]。
赤犬子宮と信仰
津堅島における伝承と顕彰
研究と評価
民俗学的研究
種川幸は、読谷村楚辺における赤犬子伝説について、その成立と継承の過程を考察している[5]。また、赤犬子伝説が楚辺の人々の地域的アイデンティティ形成に重要な役割を果たしていることを指摘している[5]。
中田耕平は、赤犬子伝説の継承を文化人類学的観点から分析し、赤犬子宮、墓、位牌、祭祀など具体的な事物を通じて伝承が維持されていることを論じている[6]。
犬祖神話との比較
種川幸は、赤犬子伝説を東南アジアを中心に広く分布する犬祖神話との比較から分析している[5]。赤犬子伝説に見られる異類婚的要素や犬と人間との関係性は、周辺地域の神話との共通性を持つとされる[5]。
文化英雄としての位置づけ
赤犬子は、三線文化をもたらした文化英雄として位置付けられている[5]。また、楚辺においては琉球音楽の始祖であるとともに、五穀豊穣の神、村の守り神として信仰されている[5][1]。
参考文献
- 種川幸「読谷村楚辺における『赤犬子伝説』の成り立ちと継承に関する一考察」札幌国際大学北海道環境文化研究センター、2000年。
- 中田耕平『沖縄県における米軍基地接収及び返還による村落の再生と文化継承に関する文化人類学的研究』明治大学博士論文、2016年。