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超絶主義

アメリカで19世紀に起こった哲学運動 From Wikipedia, the free encyclopedia

超絶主義(ちょうぜつしゅぎ / 英: Transcendentalism[1])は、19世紀前半のアメリカ東部で興った哲学的・文学的・宗教的運動である[2][3][4]。超越主義(ちょうえつしゅぎ)とも言う[5]。

発祥地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 マサチューセッツ州(コンコード・ボストン周辺)
活動期間 1830年代〜1850年代(最盛期)
概要 Transcendentalism, 基本情報 ...
超絶主義
Transcendentalism
19世紀アメリカに興った哲学・文学・宗教運動
基本情報
発祥地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 マサチューセッツ州(コンコード・ボストン周辺)
活動期間 1830年代〜1850年代(最盛期)
主な人物 ラルフ・ウォルドー・エマソン、ヘンリー・デイヴィッド・ソロー、マーガレット・フラー
思想的源泉 ドイツ観念論、カント哲学、プラトン主義、英国ロマン主義、ユニテリアニズム、インド哲学
関連運動 ロマン主義、ニュー・ソート運動、アメリカン・ルネサンス
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直観を経験的理性よりも重視し、自然の神性、人間の本来的善性、および個人の自律を核心的な理念として掲げた。

アメリカ思想史において初の本格的な知的運動と位置づけられ、その影響はアメリカ文学・環境保護主義・市民的不服従の思想など、多方面にわたって今日もなお継続している。[6]

運動の中心的思想家はラルフ・ウォルドー・エマソン(Ralph Waldo Emerson, 1803–1882)であり、ヘンリー・デイヴィッド・ソロー(Henry David Thoreau, 1817–1862)、マーガレット・フラー(Margaret Fuller, 1810–1850)らが重要な役割を担った。運動はマサチューセッツ州コンコードおよびボストン周辺を拠点とし、1836年から1855年ごろにかけて最盛期を迎えた。[7]

概要

超絶主義の核心は、人間は感覚や経験的理性を超えた(「超絶した」)知識を直観によって得られるという信念である。超絶主義者たちは、自然・直観・想像力が理性・論理・伝統的制度よりも深い真理に到達できると主張した。[8]

エマソンは1842年の論考「超絶主義者」の中で「超絶主義は、1842年におけるイデアリズムである」と定式化している。ただし運動は創設文書や綱領を持たない緩やかな集まりであり、参加者それぞれの強調点には違いがあった。[9]

超絶主義者たちは、社会の諸制度、とりわけ組織化された宗教や政党が個人の純粋性を腐食すると批判し、個人の自己信頼(w:Self-Reliance)と自然との直接的な交わりを強調した。[10]

背景と経緯

思想的源泉

超絶主義はいくつかの異なる哲学的・宗教的伝統が合流して生まれた。ブリタニカ百科事典によると、主要な源泉は次の通り[11]。

  1. ドイツ超絶論(コールリッジ、カーライルを介し受容)
  2. 新プラトン主義
  3. インドおよび中国の宗教的古典
  4. 神秘思想 -- スウェーデンボルグ、ヤコブ・ベーメ

なかでもイマヌエル・カントの超越論的観念論は決定的な影響を与えた。カントが人間の認識能力に先験的(アプリオリ)なカテゴリーを認めたことを、超絶主義者たちは直観による先験的知識の可能性の根拠として解釈した。ただし超絶主義者たちはカントの「超越的なもの」と「超越論的なもの」の区別を保持せず、体系よりもその「精神」、すなわち道徳的行為の正しさ、世界の美、神の崇高さに共鳴した。[12]

また、超絶主義者たちのドイツ哲学理解はフレデリック・ヘンリー・ヘッジ(w:Frederic Henry Hedge, 1805–1890)を通じて深められた。ヘッジはハーバード・ディヴィニティ・スクールでエマソンと学んだユニテリアン牧師であり、ドイツに留学した経験をもつ。[13]

ユニテリアニズムとの関係

超絶主義の直接の母体はニューイングランドのユニテリアン主義である。ユニテリアン主義は理性と知識による啓蒙を重視したが、若い世代の神学者・牧師たちはその合理主義に不満を持ち、より感情的・霊的な宗教体験を求めた。この内部的対立から超絶主義が分化した。[14]

1833年のジェームス・マーシュによるヨハン・ゴットフリート・フォン・ヘルダー『ヘブライ詩の精神』英訳出版が重要な契機となった。ヘルダーは宗教的テキストと人間が生み出す詩の境界を曖昧にし、聖書の権威に疑問を呈しつつも、同等の権威をもつテキストがなお書かれうることを示唆した。この問題意識がエマソンの1836年の著作『自然』の出発点となった。[15]

歴史

1830年代半ば頃から1860年頃にかけ、アメリカ合衆国ニューイングランド地方のユニテリアン派の中よりラルフ・ワルド・エマーソンやヘンリー・デイヴィッド・ソローらによってロマン主義運動・思想(理想主義運動)が行われた[5][16]。

1836年9月、ラルフ・ウォルドー・エマソンがハーバード大学卒業生の小グループによる最初の会合を組織した。当初は「ヘッジのクラブ」とも呼ばれたこの集まりが後に「超絶クラブ(w:Transcendental Club)」として知られるようになる。[17]

同年、エマソンは匿名で著作『自然』(Nature)を刊行した。これは超絶主義の主要原理を体系的に提示した最初の著作とみなされ、強烈な知的発酵と文学活動の時代の幕を開けた。[18]

超絶主義は、客観的な経験論よりも、主観的な直観を強調する。その中核は、人間に内在する善と自然への信頼である[2]。一方、社会とその制度が個人の純粋さを破壊しており、人々は本当に「自立(英語版)」して独立独歩の時にこそ最高の状態にある、とする。

エマーソンの超絶主義哲学は、19世紀後半にアメリカで始まったキリスト教異端的霊性運動ニューソートの理論的根拠として用いられ、運動が広まる支えとなっており、ニューソートはニューエイジ、カルト、通俗心理学、自己啓発運動や自己啓発書に大きな影響を与えた[19][20]。

主な内容・特徴

中心的理念

個人の自己信頼
超絶主義者たちは個人の判断・直観・内的権威を社会的慣習や外的権威よりも優先した。
エマソンは「自己信頼」(w:Self-Reliance)を中心的徳目として掲げ、「偉大であることは誤解されることである」と述べた。
自然の神性
自然は単なる物質的環境ではなく、神的精神が顕現した場所と考えられた。直観によって自然と深くつながることが霊的覚醒の道とされた。
超絶主義者たちはプラトンおよびその後継者新プラトン主義者たちと同様に、宇宙の究極の実在は物質ではなく理念(イデア)であると主張した。[21]
人間の本来的善性
人間は本来善であり、社会・組織宗教・政治制度がその純粋性を損なうと考えた。
ブリタニカ百科事典の定義によれば、超絶主義は「あらゆる創造物の本質的統一性、人類の本来的善性、そして最深の真理を啓示するための洞察の論理・経験に対する優越性」という理想主義的思想体系への共通の傾倒によって結びついた運動である。[22]
直観と霊性
霊性は理性や合理的論証によってではなく、自己省察と直観によって到達されると考えた。個人が神へのいかなる仲介者も必要とせず、直接神的なものを知ることができるとした。[23]

社会改革との関係

超絶主義は純粋な哲学的思弁にとどまらず、社会改革の実践とも深く結びついていた。超絶主義の核心には各魂の神的平等という信念があり、これはすべての人間が霊的に等しく生まれるという思想につながった。この基本的信念から、多くの超絶主義者が奴隷制廃止運動・女性参政権・教育改革・労働条件改善・禁酒運動などに関与した。[24]

主要な出版活動

超絶主義者たちはいくつかの出版拠点をもった。当初は『クリスチャン・エグザミナー』誌、次いで『ウェスタン・メッセンジャー』(1835–1841年)、『ボストン・クォータリー・レビュー』(1838–1844年)などが論文発表の場となった。

1840年、エマソンとマーガレット・フラーは機関誌『ダイアル』(The Dial, 1840–1844年)を創刊した。フラーが最初の編集者を務め、後半の2年間はエマソンが引き継いだ。同誌はフラーの「大いなる訴訟」(後に『19世紀の女性』として刊行)、エマソンの散文・詩、ソローの最初期の作品などを掲載した。[25]

ユートピア共同体の実験

超絶主義者の一部は理念を生活実践として試みるべく、共同体設立の実験を行った。

ブルック・ファーム(w:Brook Farm)
ユニテリアン牧師ジョージ・リプリー(George Ripley)が1841年、マサチューセッツ州ウェスト・ロックスベリーに設立した農業・教育共同体。
フランスの社会思想家シャルル・フーリエの思想を取り入れ、平等・教育・労働の分担を目指した。エマソン、マーガレット・フラー、ナサニエル・ホーソーン、ホレス・グリーリーらが関わった。共同体は1846年に建物が火災で焼失し、1847年には解散した。[26]
フルーツランズ(w:Fruitlands (transcendental center))
エイモス・ブロンソン・オルコット(Amos Bronson Alcott)が設立した短命の共同体。菜食主義や簡素な生活を実践しようとしたが、すぐに解散した。

他の思想との関係

主要人物と代表作

エマーソン
ラルフ・ウォルドー・エマソン(Ralph Waldo Emerson, 1803–1882)
運動の中心的人物。ハーバード大学卒業後にユニテリアン牧師となったが辞職し、講師・随筆家として活躍した。代表作は以下の通り。
  1. Nature (『自然』, 1836年)— 超絶主義の原理を初めて体系的に提示した論考
  2. The American Scholar(「アメリカの学者」, 1837年)— ヨーロッパへの知的依存からの独立を訴えた講演
  3. w:Self-Reliance(「自己信頼」, 1841年)— 個人の自律・非順応・直観を讃えた随筆
  4. The Transcendentalist(「超絶主義者」, 1842年)— 運動の定義と性格を論じた随筆
ソロー

]

ヘンリー・デイヴィッド・ソロー(Henry David Thoreau, 1817–1862)
エマソンの友人であり、運動で最も実践的な哲学者。1845年から2年間、コンコードのウォールデン池畔に小屋を建てて独居生活を送り、その体験をもとに代表作を記した。
  1. Walden; or, Life in the Woods(『ウォールデン、あるいは森の生活』, 1854年)— 自己信頼・簡素な生活・自然との交わりを描いた散文
  2. Resistance to Civil Government(「市民政府への抵抗」、後のCivil Disobedience〔「市民的不服従」〕, 1849年)— 不正な政府の法律への非暴力的抵抗を論じた随筆
マーガレット・フラー(Margaret Fuller, 1810–1850)
ジャーナリスト・フェミニスト・超絶主義者。『ダイアル』の初代編集者を務め、女性の社会的・経済的・知的平等を主張した。
  1. Woman in the Nineteenth Century(『19世紀の女性』, 1845年)— アメリカにおける最初期のフェミニズム的著作の一つ

その他の人物

影響・評価

アメリカ文学への影響

超絶主義者たちから直接、もしくは著作から間接に影響を受けた作家・作品は、アメリカ的芸術的才能の最初の開花とされ、文学における「アメリカン・ルネサンス」をもたらした。[28]

アメリカの哲学・思想などへの影響

超絶主義者たちの有機的哲学・美学・民主主義的精神に大きく負っているのは、ウィリアム・ジェームズやジョン・デューイのプラグマティズム、ベントン・マッカイとルイス・マンフォードの環境計画思想、ルイス・サリヴァンとフランク・ロイド・ライトの建築思想である。[29]

またソローの「市民的不服従」の概念は、20世紀においてマハトマ・ガンディーやマーティン・ルーサー・キング・ジュニアに深く影響を与えた。自然保護の思想もソローらの遺産を引き継ぐものであり、ジョン・ミューアやセオドア・ルーズベルトによる国立公園制度の整備にもつながった。[30]

超絶主義は19世紀中葉の「精神科学(w:Mental Sciences)」運動にも影響を与え、これが後のニュー・ソート(w:New Thought)運動へと発展した。ニュー・ソートはエマソンをその知的な父として位置づけている。

関連項目

脚注

外部リンク

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