ルイス・マンフォード
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- 出生から修学期
1895年、ロング・アイランド、ニューヨーク市クイーンズ区フラッシングで私生児として生まれた。マンハッタン区アッパー・ウエスト・サイドで母や祖父母の元で育った。
1912年、スチューイベサント高校を卒業し、ニューヨーク市立大学に入学。その後、コロンビア大学、New School for Social Research(現在のニュースクール大学)等でも学んだ。1914年、パトリック・ゲデスの著作に出会い私淑するが、同年結核のためニューヨーク市立大学を中退。そのため学士の学位は取得していない。1917年から、パトリック・ゲデスと手紙のやり取りを開始した。
- 海軍入隊からジャーナリストへ
1918年から1919年まで、合衆国海軍に入隊。任務の合間にいくつか著述を行う。除隊後ジャーナリスト、批評家としての活動を開始。ダイヤル誌社に勤務し、また社会学レビュー誌、フリーマン誌、ニューパブリック誌、アメリカ合衆国建築家協会会誌などに寄稿。美術や演劇、文学関連から政治に関する批評の執筆を担当した。
1921年、ダイアル誌での同僚、ソフィア・ウィッテンバーグと結婚。1923年、パトリック・ゲデスの助手の誘いを断り、アメリカ合衆国地域計画協会に加入。幹事及び広報を担当し、また自らの理念や計画思想も雑誌で発表。1925年、長男が誕生し、ゲデスと名づけた。またこの年、クイーンズ区ロングアイランド・シティのサニーサイ ド・ガーデンズに引っ越した。スイス・ジュネーヴ市の国際夏期学校で講演したほか、ヴェンデインゲン誌にフランク・ロイド・ライトに関する最初の批評を執筆。
1926年ニューヨーク州アメニア近郊のリーズヴィルに夏の家を借りる。フランク・ロイド・ライトと手紙を交換し始めるが、1927年ライトに初めて会い、プラザホテルで昼食をともにしているほか、シカゴ地域へ初めて旅行し、ライトの作品を見学。 1929年ダートマス大学で客員教授に就任するが翌年辞任しニューヨーク州リーズヴイルの農家を購入、夏の家とする。
1931年ニューヨーカー誌の建築批評論担当となり、「ザ・スカイライン」欄の時評を担当。 1932年、フィリップ・ジョンソンからニューヨーク近代美術館で開催された「近代建築国際展」住宅計画部門担当に招かれる。「住宅計画」と超した小論を寄稿。タリアセン・フェローシップの指導者となる申し出は辞退。またこの時期ヨーロッパで近代建築を研究している。
1936年 ニューヨーク州リーズヴィルの農家に一家で移り、定住。 1939年著書で合衆国が連合国側に加わり、第二次世界大戦に参戦することを主張。1942年、スタンフォード大学数授に就任。1944年、息子ゲデスが戦死。戦後は核兵器廃絶運動に関わった。
1948年からノースカロライナ州立大学、1951年からペンシルベニア大学の客員教授となった。しばらく途絶えていたフランク・ロイド・ライトとの手紙のやり取りを再開。 1957年からはマサチューセッツ工科大学の客員教授。1963年 ニューヨーカー誌の建築批評から退いた。
1990年、ニューヨーク州リーズヴイルの自宅にて死去。