永禄5年(1562年)4月11日、将軍・足利義輝の嫡子として誕生した[2]。生母は小侍従局ではないかと考えられているが、詳細は不明[注釈 1]。
この年、六角義賢の京都侵攻によって、3月6日に義輝が石清水八幡宮に退避しており[5]、輝若丸の誕生はそうした中での出来事であった。
4月、朝廷が父の義輝に対して、輝若丸の誕生を祝し、太刀と馬を下賜している。
5月20日、三好勢が教興寺の戦いに勝利し、6月22日に義輝も京都に帰還した。だが、こうした不安定な状況が影響したのか、7月13日に輝若丸は生誕から3ヶ月ほどで夭折した[8]。