足利輝若丸

From Wikipedia, the free encyclopedia

死没 永禄5年7月13日(1562年8月12日
別名 菊若丸[1]
 
足利 輝若丸
時代 戦国時代
生誕 永禄5年4月11日1562年5月13日
死没 永禄5年7月13日(1562年8月12日
別名 菊若丸[1]
幕府 室町幕府
氏族 足利将軍家
父母 父:足利義輝、母:小侍従局?
兄弟 輝若丸、ほか
テンプレートを表示

足利 輝若丸(あしかが てるわかまる)は、戦国時代の人物。室町幕府の第13代将軍足利義輝嫡男。名は、菊若丸(きくわかまる)とも伝わる[1]

公的な記録がある義輝唯一の男子である(他に女子が3名伝わる)[1]

永禄5年(1562年)4月11日、将軍・足利義輝の嫡子として誕生した[1][2]。生母は小侍従局ではないかと考えられているが、詳細は不明[注釈 1]

この年、六角義賢京都侵攻によって、3月6日に義輝が石清水八幡宮に退避しており[3][4][5]、輝若丸の誕生はそうした中での出来事であった。

4月、朝廷が父の義輝に対して、輝若丸の誕生を祝し、太刀を下賜している[6]

5月20日、三好勢が教興寺の戦いに勝利し、6月22日に義輝も京都に帰還した[7]。だが、こうした不安定な状況が影響したのか、7月13日に輝若丸は生誕から3ヶ月ほどで夭折した[1][8]

脚注

参考文献

関連項目

Related Articles

Wikiwand AI