足立基助
From Wikipedia, the free encyclopedia
足立氏は源家4代に仕え[4]、武蔵国足立郡を領した藤原遠元を祖とする[5]。承元3年(1209年)に、遠元の孫・遠政が氷上郡佐治庄の地頭職として来住し、山垣城を築いたとされる[6]。足立氏は南北朝時代中期に大いに勢力を伸ばしたが、戦国期末には赤井氏や芦田氏に押され、荻野直正の頃にはその指揮下へと入っていた[7]。
元亀2年(1571年)11月、山垣城は山名祐豊の家臣・山名豊直に攻められたが、赤井忠家・荻野直正の来援により撃退した[8]。この時の山垣城主は足立基晴とされる[9]。
天正7年(1579年)5月[10]、織田信長の部将・羽柴秀長の攻撃を受け[11]、足立光永の守る遠坂城とともに山垣城は落城[10]。城主の基助は討死した[12]。
370年にわたる拠点を失った足立氏は離散したが、故郷に戻った子孫は栄え、氷上郡(現在の丹波市)で最も人口の多い名字が足立姓であるといわれる[7]。