光仁朝の宝亀5年(774年)7月、女孺で無位の黒葛を本位の外従五位上を復す、とあるが[1]、本位に叙された時期や、官位を剥奪された理由などは一切が不明であるが、淳仁天皇廃位事件に巻き込まれたのではないか、という説もある[2]その後、宝亀8年(777年)正月に、外従五位下から従五位下に昇叙した旨が記述されているので[3]、先の本位への復位は、実は外従五位下ではなかったのか、と見られている[4][5]。
足羽一族では、宝亀2年(771年)8月に足羽真橋が正六位上から従五位下に昇叙されており[6]、光仁天皇の後宮で足羽臣が勢力を持っていたことが推察される。