跡見泰 From Wikipedia, the free encyclopedia 跡見 泰(あとみ ゆたか、1884年〈明治17年〉5月23日 - 1953年〈昭和28年〉10月22日)は、東京府(現・東京都)出身の洋画家。浦和画家のひとり。 跡見泰 筆聖徳記念絵画館壁画「華族女学校 行啓」(1927年)[1] 日本画家で跡見女学校(現・跡見学園女子大学)創設者の跡見花蹊の甥にあたる。東京美術学校卒業後は黒田清輝の指導を受ける。文展、帝展、日展と官展に出品し、無鑑査から委嘱へと次第に重きをなしていった[2]。関東大震災後、浦和町(1934年に浦和市、現さいたま市浦和区)に移住し、浦和画家の一人として名を連ねる。高田誠を指導した。 経歴 1884年(明治17年)5月23日 - 神田猿楽町に生まれる。 1903年(明治36年) - 東京美術学校西洋画科を卒業。 1906年(明治39年) - 白馬会の会員となる。 1912年(明治45年) - 白馬会解散、中沢弘光、三宅克己らと光風会を創設。 1922年(大正11年) - パリへ遊学。 1924年(大正13年) - 浦和画家の集う埼玉県浦和町鹿島台へ移住。 1927年(昭和2年) - 明治神宮絵画館に初の壁画「華族女学校行啓」を描く。 1953年(昭和28年) - 69歳没。 脚注 ↑ 明治18年(1885年)11月13日に美子皇后(壇上)が華族女学校を行啓した様子。答辞を朗読している男性は校長谷干城、窓際の黄緑色の和装の女性は学校幹事下田歌子 ↑ 埼玉の画家たち さきたま出版会 2000年 関連項目 学校法人跡見学園 光風会展 外部リンク 跡見泰 - 東京文化財研究所 『跡見泰』 - コトバンク 『跡見 泰』 - コトバンク 典拠管理データベース VIAF この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。表示編集 Related Articles