神田猿楽町

東京都千代田区の町名 From Wikipedia, the free encyclopedia

神田猿楽町(かんださるがくちょう)は、東京都千代田区神田地区にある町名住居表示実施済み。現行行政地名は神田猿楽町一丁目および神田猿楽町二丁目[6]

概要 神田猿楽町, 国 ...
神田猿楽町
町丁
北緯35度41分57秒 東経139度45分33秒
日本の旗 日本
都道府県 東京都の旗 東京都
特別区 千代田区
地域 神田地域
人口情報2025年(令和7年)3月1日現在[1][2]
 人口 1,177 人
 世帯数 670 世帯
面積[3]
  0.078122229 km²
人口密度 15066.13 人/km²
郵便番号 101-0064[4]
市外局番 03(東京MA[5]
ナンバープレート 品川
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地理

千代田区の北部に位置し、町域北部から東部は神田駿河台に、南部は神田小川町に、西部は錦華通りを境に神田三崎町西神田神田神保町に接する。商業地文教地区を兼ねており、オフィスビルや商店のほか、大学明治大学日本大学経済学部の一部施設)や高等学校といった教育施設も立地する。

1969年昭和44年)4月1日の住居表示実施に伴い、それまでの「神田猿楽町」から「神田」を冠さない「猿楽町」へ変更されたが、三崎町とともに「神田猿楽町」へ町名を戻す住民運動が起き、2007年(平成19年)8月1日、「千代田区住居表示検討懇談会」からこの答申が千代田区長に提出された。その後、2014年(平成26年)10月15日千代田区議会で呼称変更の議案が可決され、2018年(平成30年)1月1日より「神田猿楽町」の名称が復活した[6]

なお、東京都渋谷区にも、神田を冠しない同名の猿楽町がある。

歴史

男坂(神田猿楽町1丁目6-3)

江戸時代には一帯が武家屋敷で、現在の錦華通りが表猿楽丁、猿楽通りが裏猿楽丁と呼ばれていた。

1875年明治5年)に武家地が廃されると、現在の白山通りより西が中猿楽町、白山通りと錦華通りの間が猿楽町(丁目なし)、現在の猿楽通りより東が裏猿楽町、残りの部分が南から順に猿楽町一丁目・二丁目・三丁目に編成された[7]。猿楽町(丁目なし)は1911年(明治41年)に表猿楽町と改名された。

明治時代には周囲の神田駿河台神田小川町などと同様、学校が次々と開設した。1881年(明治14年)の女子仏学校(現:白百合学園中学校・高等学校[8])、1890年(明治23年) の神田高等女学校(現:神田女学園中学校・高等学校)、1907年(明治40年)の東京音楽大学[9]などがそれである。

また、東京大学予備門に通う学生の下宿が多く存在し、明治10年代には夏目漱石正岡子規らが猿楽町に下宿している。日華学会など中国人留学生のための施設も点在した。

1923年大正12年)9月1日に発生した関東大震災では当町域の被害は著しく、当町域の震度は震度5弱から震度7と推定されている[10]。(旧)猿楽町一丁目~三丁目、表猿楽町、中猿楽町、裏猿楽町は、震災復興再開発事業による土地区画整理と町名変更に伴い、1933年昭和8年)から1935年(昭和10年)にかけて猿楽町一丁目・二丁目、西神田、神保町に再編され、一部は小川町、駿河台に編入された(別項「千代田区の町名」を参照)。1947年(昭和22年)3月15日に神田区麹町区が合併して千代田区が発足する際、「神田」を冠称して神田猿楽町一丁目・二丁目となった。1969年(昭和44年)4月1日、住居表示実施により「神田」の冠称が削除され、神田猿楽町一丁目が猿楽町一丁目に、神田猿楽町二丁目と神田駿河台二丁目の一部を加えた区域が猿楽町二丁目となったが、2018年(平成30年)1月1日に再度「神田」を冠称した「神田猿楽町」に町名変更されている。

住居表示を実施するにあたり、当初は神保町一丁目~三丁目を延長して、神保町四丁目~六丁目までにして、神田猿楽町地区は神保町六丁目とする予定だった。しかし、由緒ある名前を消すのはしのびないということで、住民に対してアンケートを実施したところ、全住民が猿楽町を主張したため、神田猿楽町地区は猿楽町一丁目・二丁目という住居表示にする案が提出された。1968年(昭和43年)8月15日の第17回住居表示審議会において、「猿楽町」の名称が他区(渋谷区)にも存在して紛らわしいという点が議論になったが、他区の前例もあり、由緒ある名称のためできる限り存続させたいということで上記案が決議され、1969年(昭和44年)4月1日に神田猿楽町地域は猿楽町一丁目・二丁目となった[11]

地名の由来

町名は、慶長頃に現・神田神保町一丁目~二丁目から西神田一丁目~二丁目にかけて猿楽師観世大夫一団の屋敷があったことに由来する[12]。屋敷は1659年万治2年)の神田川工事の折に移転したという。「猿」の俗称「エテ」より「エテガク丁」とも呼ばれた。

沿革

町名の変遷

さらに見る 住居表示実施後, 実施年月日 ...
住居表示実施後実施年月日住居表示実施前(特記なければ、各町名ともその全域)[14]
猿楽町一丁目1969年4月1日神田猿楽町一丁目[15]
猿楽町二丁目神田猿楽町二丁目[16]、神田駿河台二丁目(一部)[17]
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さらに見る 町名変更後, 変更年月日 ...
町名変更後変更年月日町名変更前(丁目・番・号の変更なし)[14]
神田猿楽町一丁目2018年4月1日猿楽町一丁目
神田猿楽町二丁目猿楽町二丁目
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世帯数と人口

2025年(令和7年)3月1日現在(千代田区発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1][2]

さらに見る 丁目, 世帯数 ...
丁目世帯数人口
神田猿楽町一丁目 243世帯 531人
神田猿楽町二丁目 427世帯 646人
670世帯 1,177人
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人口の変遷

国勢調査による人口の推移。なお、2020年までは「猿楽町」にて集計。

さらに見る 年, 人口 ...
人口推移
人口
1995年(平成7年)[18]
877
2000年(平成12年)[19]
665
2005年(平成17年)[20]
691
2010年(平成22年)[21]
715
2015年(平成27年)[22]
787
2020年(令和2年)[23]
1,166
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世帯数の変遷

国勢調査による世帯数の推移。なお、2020年までは「猿楽町」にて集計。

さらに見る 年, 世帯数 ...
世帯数推移
世帯数
1995年(平成7年)[18]
527
2000年(平成12年)[19]
318
2005年(平成17年)[20]
356
2010年(平成22年)[21]
405
2015年(平成27年)[22]
465
2020年(令和2年)[23]
679
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学区

区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2017年8月現在)[24]。なお、千代田区の中学校では学校選択制度を導入しており、区内全域から選択することが可能[25]

交通

道路

  • 猿楽通り
  • 錦華通り

事業所

2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[26]

さらに見る 丁目, 事業所数 ...
丁目事業所数従業員数
神田猿楽町一丁目 88事業所 2,401人
神田猿楽町二丁目 186事業所 6,964人
274事業所 9,365人
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事業者数の変遷

経済センサスによる事業所数の推移。

さらに見る 年, 事業者数 ...
事業者数推移
事業者数
2021年(令和3年)[26]
274
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従業員数の変遷

経済センサスによる従業員数の推移。

さらに見る 年, 従業員数 ...
従業員数推移
従業員数
2021年(令和3年)[26]
9,365
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施設

出身・ゆかりのある人物

その他

日本郵便

脚注

参考文献

外部リンク

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